ワクチンを打ってないからこそ海外に行ける日が来る?

「ワクチンを打っていないんだから、海外に行けないんじゃないか?」

父にそう言われました。

父には再三にわたってコロナワクチンの危険性を訴え、打たないよう言っていたのですが、いつの間にか母と一緒に二回打っていました。そして「海外旅行に行く予定はないけど、行くには三回以上打たないといけないみたいだから、三回目も打とうと思っている」と言っていました。むしろ三回目をまだ打っていないこと自体がおかしい、とでも言いたげに。

周りの影響もあるでしょうし、テレビの影響もあるのでしょう。ニュースやワイドショーから得た情報をすべて鵜呑みにし、未だにコロナが危険でコロナワクチンは必要だと考えてしまっているのだと思います。そして「ワクチンを打っているのが普通」となってしまった今では、打たずにいるより打ってしまったほうが楽で生きやすい、と思っている節もあります。

いずれにしても、息子の私がここまで言っても聞かずに打ってしまったのなら仕方がないか、という諦めのような感覚もあります。本当に残念ではありますが。

それは友人知人に対しても同じで、散々ワクチンの危険性について話しても、結果的に皆打ってしまうので、私が何を言おうと無駄なのかな? という無力感にも似た感情が湧いてきてしまいます。

やはりRAPTブログを読み込んで理解し、有料記事にたどり着いて神様に出会い、信じて信仰生活を送る、というところまでいかないと「打たないと不安」という感覚から抜け出せないのではないかと思います。これだけの人がワクチンを打ってしまっている中で、自分だけ打たない、という意思を保つのは、相当難しいと思うからです。

私自身、もしRAPTブログに出会っていなかったら、打っていたかもしれません。陰謀論好きではあったから、ワクチンが危険だという情報は得ていたでしょうが、だからと言って「皆打ってるから打ったほうがいいよ」というこの世間の雰囲気に果たして耐えられたか、というと、信仰なしの状態では、難しかったのではないか、と思うのです。

そして信仰生活をしていない状態で「海外に行けない」と煽られれば、やはり打っていたでしょう。私の周りでも、海外に行きたいからワクチンを打った、という知人が何人もいます。実際に今現在では行くにあたって接種証明が必要な国が多いようです。

しかし、RAPTブログでコロナは茶番でワクチンは危険だと学んでいたので、ワクチンを接種しなければ海外に行けない、というなら今後海外に行けなくなっても仕方がないな、という考えでいました。自分の身体に毒を入れて身体を壊してまで、海外に行きたい、とは思わなかったのです。

そのような思いでいた中、ここ最近になって、御言葉にて義人の海外への移住の話がされるようになりました。私が義人として海外に行けるか、そしてそれが御心なのかどうかは分かりませんが、神様が義人を海外に連れ出してくださる、というのであれば「ワクチンを打たなければ海外に行けない」という現状を必ず変えてくださるはず。兄弟姉妹のほとんどはコロナワクチンを打っていないだろうからです。

それだけでも、とても大きな希望です。同時に、もしRAPTブログを知らなかったら、そしてもしワクチンの危険を知りながらも「海外に行けないから」という理由でワクチンを打ってしまったあとに、ワクチンを打たなくても海外に行けるよ、となった時を想像すると、そのショックは計り知れません。

神様を、そして御言葉を信じたから、大半の人がワクチンを打ってしまっている中でも、平然とワクチンを打たずにいられ、それに対しての不安も全くなく生活できました。

RAPTさんと神様には本当に感謝しています。

父がなぜこのタイミングで急に「ワクチンを打たなければ海外に行けない」と言ってきたのかは分かりませんが、私は若い頃に海外で生活していて、帰国してからも、いつかまた海外に行きたい、と言っていたので(結婚して子供が出来てからは、現実的に無理だと諦めていましたが)ワクチン接種をしていないがために海外に行けない、という現状をみて、私に対して冗談半分、冷やかし半分で言っているようでした。

そこで「そのうちワクチンを打っていない人も海外に行けるようになるから大丈夫。今後もワクチンを打つ気は全くないよ」と伝えました。そして心の中で「むしろワクチンを打ったことで体調が悪くなったりして海外に行けなくなくなり、逆にワクチンを打っていない人だけが海外に行けるようになるかもしれない」とつぶやいていました。

日本への裁きが定まってしまった今、これ以上日本に居たくない、という状況が必ずくるはずです。その時にどうすべきなのか知っておくためにも、RAPTブログで御言葉を学び、信仰生活をするべきです。

一人でも多くの人がRAPTブログにたどり着き、その事に気づいてRAPTブログによって真の意味で救われるよう、心から祈り求めます。

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