聖書を読んで変わったこと

私はRAPTブログに出会い、信仰生活を始めて、初めて聖書を手にとって読み始めたのですが、それから繰り返し聖書を読み、完璧ではないものの、聖書に対する理解が少しずつ深まってきています。

そんな中、ふと、RAPTブログに出会う以前に観ていたある陰謀論者の動画をもう一度観てみようという思いに駆られました。その陰謀論者は聖書から闇の組織の陰謀を暴く、というスタイルで、聖書を知らない頃は「そういうことかぁ」などと感心していたのですが、聖書を知った今、その陰謀論はどのように受け取れるだろうか? と興味がわいてきたからです。今なら、その人が聖書の内容を引用すれば、それがどこのことを話しているのか分かる、と思い、なにを説明したいのかが分かるから、以前とは違った解釈ができるかもしれない、という思いもありました。

そして、You Tubeで検索して動画を観始めたのですが、すぐに気持ち悪くなり、強烈な吐き気を感じて、観るのをやめてしまいました。というか、観続けられなくなってしまいました。

このような事は、少し前にもありました。

それはある映画を観始めた時のことです。その映画は日本の映画でしたが、あるキリスト教の宣教師を描いた作品でした。

私は以前から映画が好きで、これまでたくさんの映画を観てきたのですが、キリスト教と聖書を知らずにいた頃と今とでは、特に欧米の映画の観方がガラリと変わりました。根底にキリスト教や聖書があると考えながら観ると、それまでよく理解できなかったこと、スルーしていたことも分かるようになったのです。

そしてRAPTブログにてサタンの存在や悪魔崇拝について学んだため、悪なることが「カッコイイ」「クールだ」と誘導するような隠されたメッセージに騙されることもなくなりました。

もっとも以前のように、むやみに何でもとにかく目についた映画をとりあえず観てみる、といった事はしなくなっていたのですが、なんとなく「キリスト教」や「聖書」に関する映画を目にすると、どのように描かれているのか気になって観てみたりしていました。

その過程で、キリスト教の宣教師を描いた邦画を観ようと思ったのですが、本当に、観始めて数分で気持ち悪くなり、吐き気がして、観続けられなくなりました。

昨日「ミナのラジオ(第7回)」を拝聴していた際に、ミナさんが「ビートルズを聴いて気分が悪くなった」と仰っていました。それを聴いた時、私が感じたそれらと同じなのだろう、と思いました。

そして、おそらくそれは、以前の私では感じられなかったもの、霊的ものなのではないか、霊的に多少成長したおかげで、自身の霊が拒絶したのが肉の私にも伝わるようになったのではないか、と思ったのです。

それにしても、なぜここまで拒絶したのか。他の、例えば悪魔的な作品を観ても、ここまで気分が悪くなったりしないのに、と考えた時、ある聖句が思い浮かびました。

マルコによる福音書3

28はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。 29しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。

もしかしたら、聖書の間違った解釈をあたかも正しいかのように説明して人々を誤誘導したり、映画によってキリスト教の間違った教理を植え付けようとしているものに対して、霊魂が拒否したのかもしれない、と思いました。
そして、それは聖霊の冒瀆に値するからこそ、ここまで気分が悪くなったのだと。

実際、もしRAPTブログに出会わず、霊について知らず、また霊が全く成長していない状態でそれらを見聞きしていたら、その間違った解釈や教理を正しいと思って信じてしまっていたでしょう。もしくは「なんか違うな」と思って、聖書やキリスト教から遠ざかってしまっていたかもしれない。

明らかに「悪」と分かるようなものを信じてしまうのであれば、それは仕方ないけれど「善」を装って悪に誘導する手口というのは、本当にたちが悪い。

そして、それらはとても巧妙に仕組まれているから、見分けるのが難しい。

RAPTブログに出会う以前に「善かれ」と思ってやっていたことが、実際には悪だった、とか、悪魔的ものだった、というものが多々ありました。

その最たるものが神社仏閣に行って参拝することで、知らずしらずの内に悪魔を拝まされていたのですが、RAPTブログによって、それが悪だと知り、そこから救われました。

善に生きたい。自分にとって、人にとって、いい事をしたい。

そのような思いは多くの人が持っていると思います。ただ本当に「いい事」というのを知り、実際に実践するのは、とてもむずかしい。

RAPTブログには善に生きる術が記されていて、どうしたら、自分にとっても、人にとってもいい事を実践できるかが学べます。

まだRAPTブログを知らない多くの人がRAPTブログにたどり着き、有料記事と朝の祈り会に記されている「いい事」を実践して、充実した人生を送れるようになることを心から願います。

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