読み返してみる

私はたまに自分自身が過去に投稿した文章を読み返すようにしています。

というのも、自身が書いたのにも関わらず、忘れてしまっていたり「◯◯をやろう!」と決めたのにも関わらず、やっていなかったり、出来ていなかったり、といったことがあるからです。

文章を投稿しているのは、RAPTブログを知らない人にその素晴らしさを知ってもらえたら、興味を持ってもらえたら、そして有料記事にまでたどり着いていない人が有料記事を読む気になってもらえたら、更に信仰生活を始め、共に歩める兄弟姉妹が一人でも増えたら、という願いからなのですが、実際にはそれ以上に自分自身の信仰生活のためになっているように思えます。

思っていること、思い浮かんだことを文章に書き起こすことで、新たな発見があったり、書いている内に新たなことを悟ったりすることが多々あるからです。

また、文章を投稿するために、自身がRAPTブログに出会う前はどのような状態だったかを思い出して現在と比較することで、改めて救ってくださった神様とRAPTさんに感謝出来たり、現在の自分がどれだけ幸せなのかを実感出来たりするので、やはり自分自身のため、という意味合いが大きい。

ですから、この投稿するための文章を書いているときは、いつも充実感に満ちています。

しかし、どうしてもその場その時限りになってしまいがちです。

今日、ふとランダムに選んだ以前の自身の投稿を読み返してみたのですが「あれ? こんなこと書いたかな?」と一瞬、思い出せないような箇所がありました。

どうしてだろう? と思いましたが、投稿するための文章を書いている時に、急になにかが思い浮かんで、それをそのまま書くことがあると思うと、もしかしたら神様が霊感を与えてくださっているのかもしれない。そうなると、自分で考えたことではないのだから、そんなことも起こるのかも?

実際、投稿のために書く内容のほとんどが、明け方の祈りの時間の後半に思いついています。アイデアが全くないときでも、不思議と明け方の祈りの時間に思い浮かぶのです。ですから、自分の考えとして定着していないまま書いていることが多いので、そのような「忘れてしまっている」ということも起こりうるのかもしれません。

いずれにしても、せっかく思い浮かんで書いたことでも、忘れてしまっては意味がないし、ましてや、もし神様が与えてくださった霊感だったらとしたら忘れてはいけない。

逆に、その時正しいと思っていても、その後読み返してみると、全くの見当違いだということもあります。間違ったことを悟ったと勘違いしている場合もあります。

ですから、過去に自分が書いて投稿したものでも、確認の意味で、読み返してみなければ、と思いました。

同時に、御言葉の復習の重要性も感じました。

自分が書いた文章でさえ忘れてしまったりするのだから、以前、一度読んだだけの御言葉をすべて覚えていられているとは到底思えない。実際、読み返してみたり、聞き直してみると、覚えていない箇所が多々あります。

聖書にしても、何回読んでも、全く内容を覚えていない箇所があったり、同じ箇所でも以前とは違った受け取り方が出来たりするので、繰り返し読むことが重要だというのは身にしみて感じています。

やるべきことはたくさんある。

ぼーっとしてる時間などないな、怠惰に過ごしている時間などないな、と改めて思い、身の引き締まる思いです。

今後も信仰を強く持ち続けるためにも、自身の投稿の読み返しはもとより、これまでの御言葉の復習や毎日一時間の聖書の時間を続けていきたいと思います。

#RAPTブログ #御言葉

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