祝祭の日の翌日

祝祭の日の翌日の朝のことです。

まだ祝祭の日の余韻に浸りつつ、上機嫌で出社したのですが、会社に着くと、数日前の私のした仕事を指摘されて、理不尽な要求を突きつけられました。そして、私はそれに納得がいかず、反論して口論のような形になり、声を荒げてしまう、という事態が起きました。

このようなことは滅多にないのですが、その日に限っては、なぜか感情が昂ぶってコントロールが出来なくなってしまいました。

しかし「これではいけない」と気付き、その場を離れて神様に意識を向けたため、すぐに平常心を取り戻すことが出来ました。

少し前に「アンガーマネジメント」という言葉をよく耳にしました。そのことを思い出したので、少し調べてみたのですが、まずは「怒り」について回りくどく説明されていて、その対処法にしても「それが出来たら苦労しないよ」といったようなことでした。

そんなことしなくても、もっと簡単な方法があるのに。

その日は、穏やかだった前日とは打って変わって仕事が忙しくなり、朝からずっと会社の電話が鳴り止まず、その対応に追われ、昼休みを取る間もなく、気がつくと午後二時を回っていました。少し前に「昼食はとらない!」と決めていたので、食べそこねたという感覚はありませんでしたが、一息ついた時にはグッタリしていました。

その後、車で外に出る用事が出来たので、いい気分転換になると思ったのですが、一人になると、沸々と朝の怒りが蘇ってきてしまいます。
神様に意識を向けようとしてもうまくできない。

そこで今度は賛美することにしました。スマホに保存してある奈々さんの歌声に合わせて、車内で賛美しました。すると次第に怒りは消え、穏やかな気持ちに戻ることが出来ました。

怒りをコントロールしようと様々なことを考えたり試したりしなくても、神様に意識を向け、賛美するだけで、怒りをなくすことが出来るのだから、これほど簡単なことはありません。

信仰生活をしていれば「アンガーマネジメント」のテクニックなど習得する必要はないのです。

その日、仕事が終わったのは普段よりも少し遅い時間でした。色々あって疲れたから、早く帰って休もう、と思ったのですが、ふと「今日は昼休みをとれなかったから、聖書を読めていない」と気付いたため、カフェに寄って聖書を読むことにしました。

カフェに着くと、前日、個性才能を活かすための作業が捗ったのを思い出し、そっちの続きをやろうかという思いもよぎったのですが、肉的にばかりに偏ってはダメだ、と考え直し、予定通り聖書を読むことにしました。

聖書はいつも同じ箇所を読むのではなく、通読のために毎回違うところを読んでいるのですが、どこを読んでいても(内容の理解度は違いますが)決まって気持ちが落ち着いていくから不思議です。

一時間集中して読んで、さて帰ろう、と思った時には、朝の怒りは全く引きずることなく、穏やかな気持ちになっていました。

そうして祝祭の日の翌日を終えたのですが、振り返ってみると、普段以上に様々なことがありました。祝祭の日に恵みを得たので、余計にそう思えたのかもしれません。そしてそれらの出来事があったからこそ「祝祭の日」との違いが鮮明になり、当日に気付けなかった祝祭の日の素晴らしさに気づくことができました。

私は、少しでもいい事があると、すぐに昂ぶってしまい、大切なことを忘れてしまいがちです。ですから、もしかしたら神様が「祝祭の日は特別で、今日からはまた普段の日常に戻るのだから、気を抜かないように」と教えてくださったのかもしれないな、と思いました。

年末の裁きはこれから。

世間に下される裁きに巻き込まれないよう、そして自身が裁かれないよう、日々自身の信仰心を点検していかなければ。

そして、常に神様を意識できるように心がけ、なにか起きたときは必ず神様に祈り求めるようにしていきたいと思います。

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