ダンテ

今月の朝のお祈り会のタイトル画像、フィレンツェですね。

その画像を見て、フィレンツェ出身の「ダンテ・アリギエーリ」のことを思い出しました。ダンテに関しては、数年前、フィレンツェ出身のイタリア人の友人に神曲を読むよう勧められていました。私がキリスト教を信じ、その後もずっと聖書を読み続けていると伝えたら、それなら絶対にダンテの神曲を読むべきだ、と言われたのです。そこで、Kindleにダウンロードして読み始めたのですが・・・・・・kindleはたくさんの本を持ち歩けていつでもどこでも読めるという利点がある半面、読みたいものを常に優先して読んでしまう、という欠点があります。本を持ち歩いていれば、その本を否応なしに読むのですが、何でも読める、となると、どうしても読みたい本ばかりを読んでしまうのです。そして私はKindleを手にすると、まずは聖書を読む、という習慣がついていたので、結局聖書ばかりを読んでしまい、他の本に目が行かなくなってしまっていました。

今回、そのことを思い出したので、再度ダンテの神曲を読み始めました。神曲は三部作で地獄篇、煉獄篇、天国篇からなっていて、現在私が読んでいるのは一部の地獄篇です。キリスト教の視点で地獄が描かれていて、様々な階級の地獄があり、主人公はそれらの階級を順番に見て回っていくのですが、改めて読み始めてみても、やはり難しい。私の乏しい知識では、時代背景や登場人物を簡単には把握できず、注釈も多くて、なかなか頭に内容が入ってこないのです。それでも死後の世界の話、ということで、とても興味深いので、根気強く読み進めています。

死後の世界がある。

私はそれをラプトブログの御言葉で学びました。

ラプトブログの御言葉に出会う以前、私は死んだ後どうなるか、と気になってはいたものの、明確な答えがみつからず、生まれ変わるのかな? とか、別のところに行くのかな? と考えつつも、どうせ本当のことは誰も分からないのだから、答えなど見つかるはずがないと諦めていました。そして何を聞いても、そういう考えもあるよね、という感想で、たまに聞き心地の良い話を聞くと「それ、いいかも」と適当に選んで信じてしまっていました。さらにキリスト教的な考えに触れても、自分は日本人で、キリスト教信者じゃないから関係ない、と見向きもせず、むしろ避けていたように思います。

実際、ラプトブログに出会う前に観た、ダヴィンチコードシリーズでダンテの神曲を扱った映画「インフィエルノ」も、エンタメとしては楽しめたものの自分には全く関係の無い世界の話だとして、何も感じることはありませんでした。ですから、そのような状態で、もしダンテの神曲を読んだとしても「そんな考え方もあるんだな。それが本当だったら怖いなぁ」程度の軽い考えで終わっていたでしょう。

しかし、ラプトブログに出会い、御言葉を学んでいく内に、輪廻転生はなく、人生は一度きりで、死んだあとは自分の魂が永遠とも思える時間を過ごすことになり、更には今生きている生での行いによって、死後に行ける世界が変わると知りました。そして、それらの話を単にこれまで聞いていた話の中のひとつとして捉えるのではなく、これこそが答えだ、という確信を持つことが出来ました。それは、伝えてくださるすべての御言葉に矛盾がなく、理路整然としていて、全く疑う余地がなかったからです。それまで聞いていた他の話のように「もしかしたらそうかもな」「そうだったらいいな」みたいなぼんやりした感覚ではなく「これこそが真実だ!」と心の底から思える圧倒的な説得力がラプトブログの御言葉にはあったのです。

地獄もあるし天国もある。

ラプトブログで御言葉を学んだ今では、確信をもってそう言えます。

御言葉では、天国についても語ってくださっています。朝の祈り会でラプトさんが伝えてくださっているその御言葉は、ダンテの神曲を読むよりも(まだ天国篇は読んでいませんが)ずっと分かりやすく明確で、本当にそのような場所が存在するんだな、と思えます。単に盲目的に信じるのではなく、理解して納得した上で信じることが出来るのです。

神様、そしてラプトさんは、私たちの幸せを心から願い、本気で真剣に私たちを救ってくださろうとしています。そして死んだらどうなるか分からない、という不安を取り去ってくださり、さらに天国に行くのにはどのような生を生きたらいいのかを教えてくださっています。

御言葉に聞き従えば、天国に行ける。それは本当に希望です。

一人でも多くの人がこの御言葉を知り、聞き従って、希望に満ちあふれた日々を送り、死後も天国で幸せな生を生きられるよう、心から願います。

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