悔い改めと気付き

ここ数日、私は自身の罪、間違った考えについて、悔い改めていました。

日々宣布してくださっている御言葉を聞き、読み、正しい道を歩んでいると思っているのに、いつの間にかズレてしまっている。最初はちょっとしたズレでも、そのまま進んでいる内に全く違った方向に向かっていて、気づいた時には道に迷ってしまう寸前で、慌てて悔い改めて修正する、ということを繰り返しています。

今回も、以前と同じように御言葉にて間違いに気付き、悔い改めていたのですが、これまで私は罪や間違った考えについて気づくとすぐに「自分は本当に駄目な人間だ」と自己嫌悪に陥り「多分、山羊として振り分けられてしまったのだろう」と落ち込むばかりで、悔い改めて前に進もう、と思うまでにとても時間がかかっていました。無駄にため息をつき、がっくりと肩を落として下を向き、やってしまったことへの後悔ばかりして、もう信仰生活を続けていられないかもしれない、とさえ思うこともありました。

しかし今回は、多少そのような気持ちにもなりはしましたが、比較的早い段階で「しっかりと悔い改めて、頑張ろう」という気になれました。これは私自身が以前より多少なりとも成長出来たからなのか、それともハルマゲドンによってサタンが滅ぼされたからなのか、理由はよく分かりませんが、いずれにしても暗い気持ちで過ごす時間が短くてよかったと思っています。

「神様の愛を疑わない」

頭では分かっていても、いざ罪や間違った考えに気付いた時には「申し訳ありません、すみません」と謝るばかりで、愛してくださっているからこそ、そのことを気付かせてくださった、という感謝の気持ちになかなか至らないのですが、今回はとてもクリアに神様の愛を理解することが出来、心から感謝しました。

そして、今回のことで悔い改めているうちに、それまで全く気付いていなかった自身の別の過ちについて、気づくことが出来ました。

数日前、久しぶりにある知人と電話で話しました。その彼とは仕事上で知り合い、プライベートで会ったりはしないものの、会えば仕事以外の話もするという、知人以上友人未満、といった関係の人です。今回は仕事のことでちょっと聞きたいことがあって電話したのですが、その後、近況報告も兼ねてしばらく世間話をしていました。

その流れで「コロナワクチンについてはどう思う?」と聞いてみました。すると彼は「出来ればいち早く打ちたい。打てるようになったらすぐにでも打ちたい」と言うので「ちょっと考え直したほうがいいかも」と伝え、ワクチンの危険性、ワクチンによって死んでいる人がいる、死ななくても後遺症が残る可能性がある、といったことを説明しました。

すると「おっ、○○(私の名前)さんの陰謀論ですね! 久しぶりに会ってゆっくり聞きたいなぁ」と言ってくれたのですが、ふと「軽いな」と思いました。ワクチンについての切実さが彼には伝わっていないように思えたのです。

よくよく考えてみると、私がコロナワクチンの危険性について伝えても、このような「軽い」反応で返されることがほとんどです。そして、それはこれまで私がとってきた言動によるものだと気付きました。

私はラプトブログに出会うまで、というか、ラプトブログに出会ってからも、有料記事を読み始め、信仰生活に入るまでは「陰謀論」というものを、単なる話のネタとして捉えていました。真実を知りたい、という気持ちはずっとありましたが、それを知ったところで自分がそれに対してなにかが出来る、とは考えていなかったので、他人に話す時は、常に「こんな話がある、怖いねぇ、ヤバいねぇ」といった感じで面白おかしく話すばかりでした。

信仰生活を始め「自分にも出来ることがある」「陰謀論で言われている悪と戦うことが出来る」と知ってからは、他人に話す時も「奴らの悪事をより多くの人に知ってもらうことが重要だ」という意識を持って伝えるようになったのですが、それでも聞く人にとってみたら、以前と同じように私が新たなネタを持ってきた、としか捉えられないのだと思います。

以前からもっと真剣に陰謀論を伝えていれば、今回のようなコロナワクチンによる個々への直接攻撃の話も、真剣に聞いてもらえたのかもしれない。
それなのに、私がこれまでネタとして陰謀論を伝えてきたことで、すべてがネタとして受け取られてしまうようになってしまった。

これは私の過ちなのだ、と思いました。

これまでの友人知人に対する自身の言動を悔い改め、今後、彼らにはどのように伝えていけばいいか、神様に祈り求め、より多くの人に真実を真剣に受け止めてもらえるようになれれば。

そのようにしなければ、伝道はおろか、コロナワクチンによる被害からも救ってあげられない。

今後、多くの人を伝道していけるよう、もっと成長していきたいと思います。

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