小説を読んで植え付けられる不安

少し前にある映画を観ました。

過ぎゆく日々の中で小さな喜びや悲しみを味わいながら生きていくような内容で、観た後に原作を調べてみたら「重松清」の小説でした。

私は読書が好きで、これまでたくさんの本を読んできました。

と言っても、RAPTさんのように文学を学ぶ、というよりは、単に娯楽の暇つぶし、という感覚が強く、読んでいた作品も大衆的な娯楽作品が多かったように思います。

大抵はふらりと本屋に行って、好きな作家の新作が出ていないかチェックしたり、帯を見て面白そうだな、と思った小説を買ったり、といった感じで、本からなにかを学ぼうというのではなく、なんとなく「良さそうだな」と思う作品を適当に選んで読んでいました。

その好きな作家のひとりが「重松清」で、彼の小説も好んで読んでいました。

しかし、RAPTブログに出会い、信仰生活を始めるようになってからは、あまり小説を読まなくなりました。暇つぶしのために小説を読むくらいなら、聖書を読みたい、と思うようになったからです。今でもたまに小説は読みますが、やはり「聖書を読みたい」という思いが勝り(おそらく私の霊の主張が強く、肉の私がそれに負けているのだと思います)Kindleにダウンロードしてある小説を読んでいても集中できず、すぐに聖書に切り替えてしまうのです。

そんな中、久しぶりに、映画ではありますが、重松清の小説に触れたのですが、以前では気付かなかったあることに気付きました。

彼の小説では「死」を扱うことが多く、以前はその描写に感動したり考えさせられたりしていました。

そして自分がその状況になったら、どうだろうか? などと思いを巡らしたりしていました。

今回、彼の小説で描かれていた「死」の多くが癌によるものだと気付いたのです。

「癌による死」というのは身近で、私も近い親戚を二人、癌(の抗癌剤)によって失っているので、たとえフィクションだとしても他人事には思えず、感情移入をしてしまう。

それでも現実離れした話であれば、それはそれ、と切り離しできるのですが、彼の小説はリアリティがあり、何気ない日常を描いていることが多いからか、読んだあとは、なんとなく癌に対する不安が残ってしまいます。

「最初に痛みがあると訴えたときに病院に連れていけば、手遅れにならなかった」「会社に無理やり行かされた健康診断で偶然見つかった」などと書かれていると、自分は大丈夫かな? 家族は大丈夫かな? などと考えてしまう。

そして、無意識の内にそのような不安を引きずったまま、日々の生活を過ごしていました。

そんな中、RAPTブログに出会い、癌の嘘を知りました。

となると、やはり「重松清」の小説に対する考え方も変わってきます。

もしかしたら、彼は世間に対して、ありもしない「癌」に対する不安を煽る役割なのかもしれない、とさえ思えてくる。

もちろん、何も知らずに書いている可能性もありますが、もしそうだとしても、癌に対する不安を植え付けるのに十分な内容が描かれているのは明らかです。しかもあからさまではなく、話の中に「癌による死」が組み込まれているので潜在的に不安感が残ってしまい、警戒ができない分、余計にたちが悪い。

実際、私も以前はその術中にはまっていたような気がします。

しかし、私はRAPTブログに出会い、学んだことで、自分の中にあった癌に対する不安が完全に取り除かれました。

今回映画を観ても、物語の中で死ぬ人の病気が「癌」と知った時点「まぁ、死ぬのは可哀想だけど、癌ではなくて、癌治療で使用する抗がん剤によって死ぬんだよな」などと考えることができたため、観終わったあとに不安になることは全くありませんでした。

それにしても、本当にサタンは私達をあの手この手で不安に陥れようと必死なんだな、と思います。

そして、巧妙に騙してくるな、とも思います。

もしRAPTブログを知らなかったら、未だにこのような作品を観たり読んだりする度に漠然とした不安に襲われていたのだと思います。

そこから救われて、どれだけ気持ちが楽になったことか。

世間ではいたるところに不安にさせる要素が組み込まれているように思います。

そしてそれを見抜くためには、やはりRAPTブログでRAPT理論を学び、更に有料記事にて神様の御言葉を聞き従うしか方法はないのだと思います。

より多くの人が、RAPTブログによって、知らず識らずの内に心の奥底に埋め込まれている「不安」から解放されますよう、祈ります。

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