風呂と断水と悔い改め

信仰生活をしていると、なぜこの時に? というタイミングで何かが起こることがあります。そんな時は、自分の行いが間違っていないか? 何か伝えようとしてくれているのか? と考えるようにしています。もし単なる気のせいだったとしても、自分の信仰を振り返るのにいい機会だと思うからです。

今回、台風の被害にあいました。夜中、お祈りの最中に突如電気が消えたので、外を見てみると、信号機も消えていました。

その後、トイレに行くと断水していて、水を流してしまうとタンクに水が溜まらない状態になっていました。

その日の朝、まずは水の確保をどうしようか、と考えたのですが、幸い、断水とはいえ、停電によって水のポンプアップが上階にできないだけで、マンションの一階までには水が来ていたので、そこからタンクに汲んで、私の住んでいる四階まで階段でのぼる、というのを数回繰り返しました。

ただ、やはりトイレだけではなく、風呂にも入りたい、となると、大量の水が必要ですし、停電で給湯システムが使えないので風呂の湯を沸かすこともできない。

実は、前日の夜、風呂に入っていませんでした。

私は毎晩、子供たち二人と一緒に風呂に入って寝ます。仕事が遅くなった時は妻が入れているのですが、滅多なことがない限り、夜風呂に入るようにしています。実際、ここ数年で夜寝る前に風呂に入らなかったのは、数えるほどしかなかったように思います。ただなぜかその前日は帰宅時に息子も娘も寝てしまっていて、私も疲れていた上に翌日は仕事が休みで、どうせ翌朝二人と一緒に風呂に入るのだから、寝る前に入らなくてもいいか? という気持ちになったのです。

普段はどんなことがあっても、疲れがとれるし、第一気持ち悪いから、と寝る前に風呂だけは必ず入るのですが、それをしませんでした。

そして、翌朝、断水と停電によって、風呂に入れない状態になってしまいました。

風呂に入っていれば、今頃、不快な思いをしなくて済んだし、残り湯があれば、それがトイレの水の補充にも使えたのに。

なぜ、その日に限って、風呂に入らなかったのだろう?

そう思ったときに、自身の信仰生活になにか気になることはないか、と考えてみました。

すると、以前の御言葉で、毎晩のお祈りの時間は風呂に入るようなものだ、というのを思い出しました。その日についた垢を落とすように、罪を悔い改めて清くなっていかなけばならない、と。

06 6月 RAPT有料記事74(2016年6月6日)体の垢を洗い落とすように、自分の罪を毎日悔い改めなさい。

果たして、私はそのように出来ていたのか。

祈りが深く入る日と入らない日がある、というのはあります。そして深く祈れない日の翌日に悔んだりすることはありました。しかし、明け方の時間にしっかりと悔い改めが出来ていたのか、というと疑問です。悪人の裁きを祈り、まだ救われていない義人の救いを祈り、またRaptさんや兄弟姉妹のために祈り、私自身の個性才能が伸びるよう、そしていつか神様に使われる者になれるよう祈ることはありましたが、日々に蓄積された自身の罪な心は悔い改めずにそのままにしていた気がするのです。

さすがに何年も信仰生活をしているので、異性の罪や飲酒、ギャンブルなど、あからさまな罪を犯すことは絶対にありえませんが、それでも心に湧き出てきたちょっとした怒りや不安などをそのままにしていたのではないか、と思いました。

そして、そういった罪に気づかず、それらを悔い改めもせずに、過ごしていたので、今回の停電、断水を利用して、風呂に入れない、という不快な思いをさせ、それらを気づかせてくれたのかもしれない。

私自身の霊が、風呂に入れないような不快な思いをしているんだぞ、と教えてくれたのかもしれません。

幸い、その日の午後には電気が復旧したので、ずっと風呂に入れない、という不快な状況は、長く続きませんでしたが、おかげで悔い改めについて、気付くことが出来ました。

今後はいつしかしなくなっていた悔い改めの時間もつくり、その日の自身の行いに罪はなかったか振り返り、少しでも多くの罪に気づき、悔い改めて行きたいと思います。

#RAPTブログ #悔い改め #明け方の時間 #停電 #断水

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