このところ、私は自身が過去にインスタへ投稿したものを読み返しています。
信仰生活を始めてから何年も経ち、多くのことを学び、多くの経験をして、多くを悟ってきつもりでいたのですが、少し前に、以前の自身の投稿のひとつを見てみたら、全くその「悟り」について忘れていた、ということがあったからです。
読み返してみると、確かにそういうことを書いたな、と思い出すのですが、日々の生活の中で意識することもなく、いつしかそのことがすっぽり抜け落ちていた、と気付いたのです。
そこで、他にもそういったことがないか、と確認したところ、忘れていないまでも適当になっていたり、その時の熱い思いを失っていたことが多々ありました。
「これでは駄目じゃないか」
私はそう思い、一度は落ち込みましたが、そのままではいけない、と自身を奮い立たせ、まずは悔い改めたのでした。
そうしている内に気付いたことがありました。「インスタに証を投稿する」というのはこのように、過去の自分を確認できる、という側面もあるのだと。
普段、インスタに投稿する文章を書くときには、少しでも読んでくださった兄弟姉妹の力になれれば、そして、まだ信仰生活を始めいていない方や有料記事を購入するか迷っている方々が信仰生活への一歩を踏み出す後押しができれば、という思いで書いています。
また、書き出すことで自身が悟ったことを再確認したり、客観的に見たりして、信仰を深められる、ということまでは意識していました。実際、書き出したことで気付いたこと、書き出さなければ気付かなかったことが多々あると思います。ですから、投稿するために書き出すことの重要性は理解していたつもりでした。
しかし、ずっと過去にさかのぼって、自身の投稿を確認することで、現在の自分の信仰と比較し、当時の感情や意識までも思い出して、改めて悟ることができるとは思ってもいませんでした。そもそも、一度悟ったことを忘れてしまう、というのは、想定していませんでした。おそらく、悟った時点でそれは自分の身になって成長したのだから、そのことについてはそれでよい、と無意識のうちに考え、高慢になっていたのでしょう。それに加え、一度悟ったと思っていたことが間違っていた(勘違いしていた)可能性もあるのにも関わらず、それを全く考慮していませんでした。他にも、当時悟ったと思っていたことが浅く、その後に聞き続けた御言葉から、同じことを更に深く悟ることが出来ていた、ということもありました。
自分自身を過信していたのです。一度悟ったからといって、それを自分のものにできた、などと考えるべきではなかったし、本当に正しく悟れていたのか確認すべきだった。
ただ、過去の投稿を読むことで、その当時から少し成長できたかな、と思えるようなこともありました。
ですから、落ち込むような事ばかりではありませんでした。
いずれにしても、焦って先を急ぐばかりではなく、一度立ち止まって、振り返って確認することも必要なんだな、と思いました。
それらのことを考えているうちに、私は本当に現在進行形で「生きた神様の御言葉」を聞くことができているのだ、という気持ちがジワリと身体に浸透していくような感覚を得ました。
そして、その奇跡の御言葉に出会えたことに対する喜びがあふれてきました。
この素晴らしい御言葉を伝えてくださっている神様、そしてラプトさんに感謝しかありません。
この感謝の気持ちを表すためにはどうしたらいいか、というと、伝道する以外にない。
多くの人々を伝道できる者になるためにも、今一度、過去に悟ったと思っていたことを間違っていなかったか、浅くなかったか、と確認し、正しい悟りと共に熱い信仰を持ち続けなければ。
今後も、自身を見つめなおしながら、悟りと悔い改めを積み重ねて成長していきたいです。
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