無視される苦しみ

数日前、夕暮れ時にベランダからピンクに染まった空を見ることができました。

信仰生活を始めてからは、このような美しい光景を見るたびに、感動を受けるとともに神様に感謝しているのですが、ふと、信仰生活を始める前はどうだったかな? という思いが浮かびました。

しかし、あまり覚えていませんでした。

おそらく大して感動もしていなかったし、そもそも空など見上げたことなどほとんど無かったのでしょう。そう考えると、もったいないことをしていたなぁ、と思ったりしていました。

そうしている内に「せっかくこのような美しい景色を神様が見せてくださっていたのに、私は無視していた」という考えが浮かびました。

「無視」という単語が思い浮かぶたびに思い出すことがあります。

それは中学一年生の時に、一時期クラスメイト全員から無視されたことです。クラスの中心的存在の女子と口論になり、その後、嘘の噂を流されて、嫌われ者になってしまったのです。そして一緒にいた仲の良いグループの友人達もそれに加担し始めました。

ただ、私には小学校から続けていたサッカーを通しての仲の良い友人が他のクラスにいたので、その友人とあえて普段以上に楽しく振る舞って遊ぶようにしていたことで、次第に「無視」が全く効いていないように見えて馬鹿らしく思ったのか、結局仲の良い友人グループからの「無視」は長く続きませんでした。

しかし、今振り返ってみると、その期間は相当辛かったな、と思います。確かに他のクラスに仲のいい友人がいたことで救われましたが、それでもクラスでは孤立していたので、クラスでグループを作って何かをするにしても、そのグループに入るのを嫌がられる(と勝手に思い込んでいたのかもしれませんが)し、そうなると「嫌な自分と一緒になっちゃって悪いね」などと内心相手に対して申し訳なく思ったりしていました。

本当に卑屈になっていました。

大人になってから考えると、中学のクラスという本当に狭い世界で何をそんなに悩んでいたのか? と思うのですが、その頃の自分にとっては、それだけが自分の世界だったのだから、深く沈み込んでしまっても仕方がなかったのかな? とも思います。

そして、ラプトブログに出会い、神様の存在を知り、神様の愛を感じた今となっては、あの頃に神様に出会っていたら、また違っていたのかもしれない、と考えずにはいられません。

もし神様が愛してくださっている、と知っていたら、単なるクラスメイトに感情をかき乱されることなく、常に心の平安を得ていたかもしれない。

そこまで考えると、今いじめで悩んでいる中学生、高校生に神様の存在を知ってもらいたい、ラプトブログを通じて、神様の愛を知ってもらいたい、そうすれば地獄のような苦しみから抜け出せることができるのに、という考えが込み上げてきます。

そして、これまでの信仰生活でも幾度となく同じことを考え、思い、そして多くの人間関係で思い悩んでいる中高生やいじめられた過去を持つ人たちもラプトブログに導かれ、伝道されますように、と祈り求めてきたのですが、今回は、少し違いました。

もちろん、そのような思いも湧いてきたのですが、今日感じたのは神様の心情でした。

「無視される」というのは本当につらかったのだけれど、神様はその「無視される」という行為をずっとされてきたのだ、と改めて気付いたのです。

「無視」というのは本当に卑劣です。汚い言葉を浴びせられたり、暴力を受けたりするのもつらいですが、それ以上に「無視される」というのは、自分の存在さえも否定されて、いないことにされてしまうのだから、本当に苦しい。

特にこの日本では、神様の存在を否定され、いないこととして信じ込まされていたのだから、本当に長い間、神様は完全に無視されていた、と言っていい。

どれだけ悲しかったか、どれだけ悔しかったか。しかも自らが愛している人間がそれを行っているのだから、と思うと、自然と涙があふれてきました。

同時に、これまでの御言葉でラプトさんが幾度となくそのような話をしてくださっていて、それを悟ったつもりでいたのに、実際には、真の意味で悟っていなかったのだな、と今更ながら思いました。

さらに、ラプトさんが神様の心情を正しく理解し、本当の愛で返したことが、神様にとってどれだけうれしかったか、という事も、自身のつらい経験とその後の喜びを照らし合わせたことで、頭でだけでなく心で理解できました。

そして、私達もラプトさんに伝道していただいたお陰で、神様を無視する状態から抜け出すことができた。

意図的ではなかったとはいえ、神様を無視していたのは事実ですし、ずっと神様を傷つけてしまっていたのだな、と思うと、悔い改めの気持ちと、今後神様を裏切るようなことは絶対にしてはならない、悲しませるようなことは絶対にしてはならない、という気持ちが強まります。

私達が知るずっと前から愛を注いでくださっていて、神様の存在に気づいたことで、さらなる愛と喜びを与えてくださっている神様。

その神様をもっと喜ばせてさしあげたい。

そのために、自分には何ができるか。

今後も祈り求めながら、神様を喜ばせてさしあげられるような人間に成長していきたいと思います。

#ラプトブログ #無視

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