友人への伝道の試み

現在、友人に伝道を試みています。

その友人は外国人で、海外に住んでいるのですが、私が留学していた時に知り合った現地の人で、それから四半世紀経った今でも、ほとんどがメールやメッセージではありますが、交流があります。

以前、書いたことがあるのですが、私が有料記事に導かれ、信仰生活を始めようと決心し、初めて明け方の時間に祈りをささげた日、初めてのことで、なにを祈っていいのか分からなかったので、ひとまず私の友人知人の顔を思い浮かべて、彼らの幸せを祈りました。そしてその翌日にも同じようにしていたのですが、その日の午後、突如、しばらく連絡をとっていなかった海外の友人から「昨日夢であなたを見て、急に連絡をとりたくなった」というメールを受け取りました。幸せを祈った友人の中にはその友人もいたので、そのことに驚きつつも、その出来事で、目に見えない「霊」というのが存在するのだな、と悟ったのでした。

そして、今、伝道を試みているのが、そのメールをくれた友人です。

私はその当時、その友人がメールをくれたタイミングの驚きを伝え、RAPTブログについて話し、キリスト教を信じるようになった、と伝えました。

ただ、その友人は「以前はキリスト教を信じていたけれど、今は仏教の考えの方が好きだ」と言っていました。そして輪廻転生を信じると。

ですから、伝道は難しいかな、と半ばあきらめていました。

もっとも、その当時は私の信仰も浅く、知識もあまりなく、深く悟れていたこともほとんどなかったので、うまく説明できていなかったのだとは思います。

それでもその後、明け方の祈りを終えたあと、ネットをつなげ、メッセンジャーにつなげるとその友人もつなげている、ということが度々あり、その都度「祈りを終えた後だ」と伝えていたので、信仰生活の話題になることが多く、少なくとも興味は持ち続けてくれているのだという思いは常にありました。

しかし最近はあまりネットで会うこともなく、しばらく連絡をとっていませんでした。

忙しい日々に追われていた、というのもありますが、とにかく自分のことで精一杯で、他人に目を向ける余裕がなくなっていたのだと思います。

それでも、それではいけない、自分中心ではいけない、と気付き、悔い改めました。

そして現実的に私が伝道できる身近な人は誰だろう? と改めて考えるようになりました。
陰謀論に興味を示してくれる人はいる。コロナ騒ぎ以後はそれについて話を聞いてくれる友人知人もいるし、ワクチンを打たないように、と言ったら、その通りに打たなかった友人もいる。しかしその先のキリスト教、そして信仰の話となると、なかなか受け入れてもらえない、というのが現状でした。

そんな中、その海外の友人からしばらくぶりにメッセージがありました。
またしても「あなたが夢に何度も出てきたから、もしかしたら助けを求めているんじゃないかって心配になった」という内容でした。

確かに少し前、夏風邪による発熱で数日間うなされたりしていたけど、そのことかな? と思いつつも、今はまったく問題がないので、そのように伝えました。

すると次に、まだ明け方の時間に祈ることをしているのか聞いてきました。そこで「もちろん続けている。もし興味があるなら学んだことを話すよ」と伝えると「とても興味があるから聞かせてほしい」と言ってきました。

もしかしたら伝道できるチャンスかもしれない。

私は、はやる気持ちを抑えながら、どう伝えればいいのか考えました。

しかし、奇しくもその数日前に親族が亡くなり、やり取りをしていた当日にはお通夜、翌日にはお葬式に参列しなければならず、すぐに返答はできませんでした。

お葬式から帰ってきた私は、早く返信したい一心で、その友人に「お葬式の途中で気分が悪くなった。仏教は悪魔崇拝だからね」というメッセージを送りました。

しかし、その後、すぐにそのメッセージは送るべきではなかった、という思いに駆られました。

仏教徒ではないにしろ、仏教の考え方が好きだと言っていた友人に、唐突にそのように伝えたら、気分を害してしまい、これから伝えようとしているキリスト教の話から遠ざけてしまうのではないか、と思ったのです。

そこで「騙して、知らず知らずのうちに悪魔崇拝をさせて、人々を神様から遠ざけているサタンが憎いのであって、仏教を信じている人に敬意を示していないわけではない」と伝えると「神様を信じない人もいるけど、そういう人にはどうすることもできない」という返答が来ました。

私の気にしすぎだったか。
キリスト教の教えが根底にある欧米人だし、神様は信じているのだな、と。

それでも、自分の考えだけで伝道しようとすると、失敗する可能性が高い、神様に祈りつつ、どのように話したら伝道できるのか相談しながら、焦らずにRAPTさんが伝える御言葉から学んだ私の知っている神様の話をしなければ、と思いました。

ましてや外国語で伝えるのだから、余計に言い回しなど、気をつけなければならない。

とにかく、まだ身近な人に伝道できていない私にとって、もしその友人に伝道が出来たのなら、これほど嬉しいことはありません。

今後、友人に、そして他にも多くの人に伝道できるよう、祈り求めながら、話を伝えていきたいです。

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