聖霊様

私は神様に対して恐れを抱きすぎていたのかもしれません。

昨日(1月1日)の御言葉を聞き、更に昨日、自身がインスタに投稿した文章を思い出して、そう思いました。神様に裁かれたくない、という思いばかりが膨らみ、神様が自身から遠ざかってしまわないだろうか? と心配ばかりして、去年一年を過ごしていたように思えたのです。そして根本的な「神様は私達を愛してくださっている」ということを忘れてしまっていました。厳しい御言葉は愛してくださっているからこそ。信仰生活はその愛を受け取り、その愛に応えること。それなのに私は恐れてばかりで、神様の愛にあまり意識を向けていませんでした。

今朝の明け方の祈りの時間、そのことを思いつつ、御言葉で語られた聖霊様について思い起こしていると、突如「大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫」と繰り返し頭の中に浮かび、胸が熱くなって涙が溢れ出しました。そして、大きく包み込まれているような感覚を得ました。

「そうか、神様は愛してくださっているのだから、大丈夫なんだ」

心からそう思えるようになり、それまでの自身の信仰生活に対して抱いていた心配や不安が取り去られていくような気持ちになりました。

もしかしたら、聖霊様の愛に触れることが出来たのかもしれない。これが聖霊様の愛なのかも。

そう感じつつ、とても穏やかな気持ちでそのまま祈っていると、その後でスペイン人の友人の結婚式に出席したときの事を思い出しました。

十年以上前のことで、その時私はすでに日本に帰国していて、スペインまで出向いて結婚式に出席したのですが、クリスチャンの友人の結婚式は、当然のごとくキリスト教の教会で挙げられました。おそらくそこに居たほぼ全員がクリスチャンだったのだと思います。私は、というと、当時はキリスト教には全く興味がなく、むしろ「八百万の神を信じる日本人、最高」と誇らしげに思っていた頃だったので、教会では居心地の悪さを感じていました。

結婚式では、賛美歌や聖句の朗読等が行われていたのですが、途中、教会の真ん中で出席者が列をなし、神父さんの前で一人ひとりひざまずいた後、何かを口に入れてもらっている光景を目にしました。それを見て、私は「一神教の偉大な神に恐れおののく構図。かわいそう」などと勝手に考えていました。日本の八百万の神は身近にいて寄り添ってくれている、と考えていたからです。

今思えば、その頃から「神様=恐れ」という考えがあり、クリスチャンになって神様の愛を知った今でも、しぶとく自身の心の奥底に(潜在的に)こびりついていたのかもしれません。

RAPTブログに出会い、神様と出会い、クリスチャンになった今、その結婚式の頃の自分を思い出す度に、本当に恥ずかしくなり、愚かで間違った考えだった、と悔い改めているのですが、今朝その事を思い出たときに、スペイン人の友人をはじめ、その時に教会にいた彼らは、RAPTさんが宣布してくださっている御言葉を知らないのだから、信仰は古いままで、神様と恋人の関係になれるということも知らず、今後宣布されるであろう聖霊様の愛についても知らないままなのだろう、と思いが浮かびました。

そして、大半のクリスチャンはそのような状態なのだから、RAPTブログを世界中に広げ、神様からの新しい御言葉が宣布されていることを知ってもらわなければ、という思いが改めて沸き起こってきました。神様もそのように願っているに違いないのだから、と。

ただ、以前も書いたのですが、強い信仰を持つ欧米のクリスチャンに、仏教の国である日本人の私がキリスト教について伝え、導くのは本当に難しい。欧米人の友人にRAPTブログの御言葉の教えを伝え、伝道しようと試みて、ものすごい反発を食らった経験をしているので、身にしみています。しかし、そこで諦めてしまっては、世界中に伝道が進まない。

やはり、単に御言葉を伝えるのではなく、RAPTさんの元で学び、神様に助けていただきながら個性才能を伸ばし、人々に認められるくらいの実力をつけた上でないと、世界中の人に伝道は出来ないな、という結論に達します。

今回、聖霊様の愛に触れたことで、更に信仰が深まり、この喜びと安心感をもっともっと多くの人に知ってもらいたい、という思いが更に強くなりました。

今後もRAPTブログに記されている御言葉が、世界中に広がりますよう、心から祈り求めて、信仰生活を送っていきたいです。

#RAPTブログ #信仰生活 #御言葉 #教会

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