原点に戻る

昨日のことです。

祈りによって「不思議なしるし」を体験しました。その体験は、私がラプトブログに出会い、御言葉に聞き従おうと決め、初めて明け方の祈りをしたときと同じものでした。

明け方の祈りを始めた初日、私は何を祈っていいのか全く分からず、理解もできておらず、とりあえず世界平和や悪の滅びといったことを漠然と祈っていました。しかし、それではすぐに終わってしまいます。そのほかに何を祈ろう? そう考えているうちに、自身の家族、親戚、友人、知人、すべての人の顔を思い浮かべて、幸せを祈ってみよう、という思いに至りました。その時は「時間稼ぎになる」程度の考えだったと思います。とにかく一人ひとりの顔と名前を思い浮かべて「幸せになりますように」と神様に向かって祈りを捧げていました。

そして翌日も同じようにしてみました。それは、大した意味などなく、ただ単に前日思いのほか時間が稼げたから、という軽い気持ちでした。

すると、その日、不思議なことが起こりました。もう何年も連絡を取っていなかった外国人の友人からメールが来たのです。そしてその内容は「あなたが2日続けて夢に出てきたから、何かあったのではないか、って心配になって」というものでした。

その友人についても顔と名前を思い浮かべて祈っていたので、その時は本当に驚きました。そして、この経験から「霊」というものが本当に存在するんだ、と悟り、実際に不思議なしるしとして体験できたことに対して感動したのを覚えています。この経験があったからこそ「もっと祈ってみたい」という思いが強くなり「今後祈り続けたら何が起こるのだろう?」「もっともっと不思議な体験が出来るかもしれない」といったワクワクした感覚を覚え、それ以降、毎日明け方の祈りを捧げています。ですから、この経験は、私の信仰生活の原点、といってもいいかもしれません。

そしてここ最近。

実は、なんとなく深く祈れない日々が続いていました。体調を崩してしまった、というのもありますが、明け方の時間、思うように祈れない日々に苛立ちにも似た感情がありました。そして、神様に対して深く祈れないことに対して申し訳ない気持ちもありました。

そんな中、ふと、原点に戻るべきだという思いが浮かび、明け方の祈りの時間に、久しぶりに友人知人の顔と名前を思い浮かべて祈ってみようと思いました。

ただ、単に以前と同じように祈るのではなく、今後は海外への伝道もしていかなかければならない、ということだから、今回は海外の友人知人を重点的に思い出し、彼らのために祈ろうと思いました。そしてもし自身が天の文化芸術を身につけられ、世界的にも誇れるくらい成長できれば、少なくとも友人知人はその作品を見てくれるだろう、そして周りにも勧めてくれるだろう、という期待を込め、彼らを伝道できれば、という思いで祈りました。

すると、その翌日(昨夜)その中の一人からメールがありました。彼は外国人の中で一番仲の良かった友人と言っても過言ではないほどの親友でした。ただお互い帰国し、結婚し、子供もできていく中で、次第に連絡が途絶えてしまっていました。彼はメールで、最後に連絡をとったのは四年くらい前だった、と書いていましたが、確かにそのくらい連絡をとっていなかったのだと思います。

それが、急に彼が私のことを思い出し、近況報告のメールと写真数枚を送ってきてくれたのです。

「あの時と同じだ」と思いました。

同時にいつしか忘れてしまっていた信仰生活によって得られる「ワクワク感」というのを思い出しました。

あのとき、神様を信じて信仰生活をしていれば、なにかすごいことが起きるかもしれない、と想い、実際にその後、神様がしてくださったとしか思えないような驚くような偶然や喜びを体験したのにも関わらず、それがまた起きるかもしれない、というワクワクした気持ちが薄れていたのです。もちろん、不思議なしるしを体験したときは驚き、喜び、神様に感謝してきたのですが、日々の生活の中でそのようなことは滅多に起こらない、特別なときだけだ、という冷めた感情が知らず知らずの内に芽生えていたことに気付きました。

常に熱い気持ちで信仰生活を送らなければ、いずれ生ぬるいと思われて吐き出されてしまう。信仰生活を始めた頃のような熱い気持ちを持ち続けなければ。

今回の経験で、そのことを悔い改めることができました。

ちなみに、メールをくれた友人には、私がラブトブログに出会い、キリスト教を信じるようになって信仰生活をしていることを伝えていなかったのですが、今回、伝えてみようと思っています。
ただ、伝道できるかどうかはわかりません。彼とは以前、宗教について話したことがあったのですが、完全に理論武装した無神論者でした。ですから伝道は相当難しいように思います。それでも、だからこそ、チャレンジしてみよう、とも思います。そして、今ダメでも、いつか、私が神様の力を借りて個性才能を伸ばし、天の文化芸術を人々に伝えられるようになるまで成長すれば、もしかしたらその時は伝道できるかもしれない。

いずれにしても、最初から諦めずにやってみようと思います。

#Raptブログ #信仰生活 #不思議なしるし

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