集中できず、深く祈れない

集中できず、深く祈れない。

以前からの懸案事項ではあったのですが、歩き祈りの際、様々なことが頭に浮かび、収拾がつかなくなることが多々あります。

新たな構想を得られたり、思ってもみなかった考えが浮かんだりと、いいこともあるのですが、ひとつのことに集中して祈ることがなかなかできないのです。

特に「これについて祈ろう」という明確なテーマがない日にそうなります。取り留めもなくダラダラと祈ってしまう。

今朝の明け方もそんな感じでした。

ひとつのことを祈っていると、他のことが思い浮かび、そっちを祈るようになる。そしてしばらくすると他のことが思い浮かぶ。

神様とラプトさんに感謝の意を伝えつつ、御心が成されますように、御国が成されますように、と祈っていると、そのために自分が何をすべきかという考えになり、自身の個性才能が伸ばせますようにと願いつつ、構想をくださいと祈り求め始めると、十二弟子が完全にたてられれば大きく物事が動くようになって自身の願いも叶いやすくなり伝道も進む、という思いが浮かぶので、今度は十二弟子の方々、十二弟子候補の方々のための祈りに移ったのに、彼らは激しいサタンの攻撃にあっているのではないか、と心配になり、サタンの滅びを祈らなければ、という思いに駆られ、創価学会、大本教、生長の家、統一教会などのカルト宗教の滅びと上級国民の裁きを祈るのだけれど、まだ自身に罪があるのに、簡単に祈りが伝わるわけがないという考えから、さっさと自身の罪の悔い改めに切り替えてしまい、結局、どれも中途半端で浅い祈りになってしまう。

これではダメだ、と思い、河川敷の途中でベンチを見付けて座り、祈ろうとしても、それまでの歩きで少し汗をかいたのか、それが冷えて寒くなってしまい、集中ができない。

結局、ベンチに長居できず、また歩き出して祈り始めたけれど、やはり深く祈れない。しまいには雑念が入り込み、その日の知人との会話でのことを考えたり、仕事のことを考えたり、自分の行動について、こうするべきだ、あーするべきだ、と自身の考えが浮かんだりしてきてしまう。
そうなってしまうと、祈りに戻ろうと思ってもなかなかうまくいかない。

そこで、なにも考えずに神様を呼び求めることにしました。
「神様、神様、神様」と、とにかく頭の中で呼び続ける。(以前、そのような御言葉があったように思います)たまに神様から意識を引き離され、他のことを考えてしまったりしますが、気付くとすぐに、神様に意識を引き戻し「神様」と呼び求める。
そのようにして、歩き祈りの後半、家に着くまで繰り返し繰り返し、ただ神様を呼び求めながら歩いていました。

今朝の経験から、やはり、私の場合は、歩き祈りだけではダメだな、と改めて思いました。

歩き祈りは寝てしまう心配がないし、祈りやすいので、これからもずっと続けていきたいとは思いますが、集中して祈るような日もつくらないと、信仰生活自体が中途半端になってしまいかねない。
メリハリをつけるためにも、やはり定期的にクルマで山へ行くべきだな、と。

今日は夜から雨が激しく降るようなので、明日の明け方は、クルマで山に行って祈ろうと思います。

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