サタンに考えを入れられる

サタンに考えを入れられる。

私はこの事を悟るのにとても時間がかかりました。

信仰生活をはじめてからというもの、私は常に「御言葉どおりに行えていない」という自身に対する不甲斐なさを抱いていました。
特に明け方の祈りの時間に眠気に襲われて、いつの間にか寝てしまっていたり、全く関係ないことを考えてしまったり、ということが続き、このような私が信仰生活を続けていいのだろうか? 裁かれても仕方ない、自分は本当にダメだ、と思わざるを得ない日が多々あり、落ち込むこともありました。

それでも歩き祈りを始めてから一年以上たち、眠ってしまうことも減り、一応、信仰生活を送れているな、と思えていました。

しかし、ここに来て、またしても「家でも祈れる」という考えが強くなっていました。

これだけ信仰生活を長く続けていて、歩き祈りではしっかり祈れるようになったのだから、というのが自身に対する理由ですが、心底では「歩き祈りは疲れる」「家で祈れるなら楽だ」という考えがありました。

いつもであれば、直前にその考えを振り切って外に出るのですが、その日は、眠気が全くなく、絶対的自信があったので、家で祈りました。家、と言っても部屋ではなく、ベランダです。外は涼しくて(少し肌寒いくらい)心地よく、その日はとても深く祈ることができました。

「もう、家で祈っても大丈夫」

そう確信し、翌日も同じように家のベランダで祈ってみました。すると、前日とは打って変わって、眠気が襲ってきて、ほとんど祈ることができませんでした。

「一度祈れたから、もう大丈夫、だと思ったのは、自身の慢心で、怠惰な考えからだ。自分は本当にダメだ」

そのような考えに至り、その日は落ち込みました。

しかし、いつもと違ったのは、その後に「もしかしたら、これはサタンに考えを入れられているのかも」という考えが浮かんだことです。

これは自分自身の内なる怠惰な気持ちとの戦いではなく、サタンとの戦いなのかもしれない。

御言葉を知るまで、私はサタンについては全くの無知でした。ですから、サタンの考えが自分の中に入り込んで、あたかも自分の考えのように思わせて操るなど、想像もしなかったのですが、御言葉でサタンについて学び、サタンが自分の心の中に入って、自分の考えを操作することがあることを学び、驚きました。

「神様が考えを入れてくださる」ということは、それ以前に悟っていました。それは何かを書こうとしたときに、それまで全く考えていなかったことが突如頭に思い浮かんだり、困ったときに神様に意識を向けてみたら頭にいい案が思い浮かび、実際にやってみたらとてもいい結果が出た、ということが多々あったからです。

そのような経験を重ねていたため、神様は本当にいらっしゃって、私達を見守ってくださっている、場合に応じて、私に考えを入れてくださっている、という思いがあったのですが、サタンが考えをいれる、ということになると、いまいちピンと来ませんでした。

どうしても何か悪い考えが浮かんだり、嫌なことがあると自分を攻めてしまい「自分がダメなのに、サタンのせいにしてはダメだ」という考えにとらわれてしまっていたからだと思います。

ですから、サタンのせいにせずに、まずは自分の弱さを悔い改めなければ、という思いが常にありました。

これまでに数え切れないほど、御言葉でサタンの攻撃について伝えてくださったにも関わらず、私はそれについて悟れず、自分自身が弱いから、という考えを捨てられずにいたのです。

そんな中、ふと「単に自分が弱い、と思って、自身の弱さを悔い改めようとするのではなく、自分はサタンに攻撃されているのだと認め、そのサタンに打ち勝ているように神様に祈り求めなければダメだ」ということが、頭のなかでクリアになる感覚を得ました。

今まで、このことは、頭では理解していたつもりでしたが、真の意味で悟っていなかったのだと思います。

「そういうことか」

表面的に張り付いていた言葉が、じんわりと内部に浸透していくような感覚がありました。

以前、人間の力だけではサタンに勝てないのだから、神様に祈り求めなさい、という御言葉がありました。それなのに私はなぜかサタンに攻撃されていると認めず、頑なに自分の力で解決しようとしていました。

もしかしたら「苦しいのはサタンの攻撃ではない、自分が弱いからだ」という考えもサタンから来たものなのかもしれない。そしてその事に対して、神様にすがりついて助けを求めようとしないよう、サタンに仕向けられていたのかもしれません。

自分がダメだ、と感じたのなら、何がどうあれ、その考えをなくすために神様に祈り求めるべきだったのだと思います。

それなのに、まずは弱い自分を変えてから、神様に祈り求めなければ、神様は助けてくださらない、とどこかで思っていました。

そうではなく、弱い自分を変えてくださるよう祈り求め、サタンに打ち勝つためにはどうすればいいのか祈り求め、自身がサタンに打ち勝てる者となれるように祈り求めなければ。

結局、問題は「歩きかベランダか」ではなくシンプルに「サタンに勝つか負けるか」だったのでした。

このズレに気付けた今、更に深く神様に祈り求め、いずれは完全にサタンに打ち勝てる者になりたいです。

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