暇を持て余さない

信仰生活を始める以前、私は常に暇を持て余していました。

仕事をしている以外の時間は、どう暇を潰そうかということばかりを考えていたといってもいいくらいです。特別深くハマっていた趣味もなく、没頭できるなにかもなかったので、とりあえず本を読んだり映画を観たり、大して興味がないのに録画していたお笑い番組を観たり。

翌日仕事が休み、となると、友人を誘って飲みに出て明け方まで飲み明かし、翌日は丸一日二日酔いでなにもせずに家でぼーっとして過ごしていました。そして一日が終わる頃に「今日はなにもしなかった。無駄に過ごしてしまった」と後悔の念に苛まれながらも「まぁ、こういう日があってもいいか」などと考えていました。

結婚して子供ができてからは、二日酔いになるほど飲むようなことはなくなりましたが、それでも仕事と子育てに追われる中で、たまに暇な時間ができても何をしていいのか分からず、結局なにもせずにぼーっとスマホを見ている内にそんな時間も終わっていました。

そして、いつしか自分のために時間を使うことがなくなっていました。一種の諦めだったのでしょう。どうせ自分のために時間を使ったところで、大したことはできないし、それなら子供のために時間を費やして、子供に自分の夢をたくそう、などという考えもありました。

子供に託す夢といっても、明確な目標を定めていたわけではなく、漠然と「お金持ちになってほしい」とか「なにかで有名になってほしい」といった感じでしたが、子供のために頑張るのなら無駄にはならない、と自分に言い聞かせていたような気がします。

そんな日々の中で出会ったのがRAPTブログでした。

暇な時間にネットで陰謀論を読み漁っていたときに見付け、その凄さ、素晴らしさに驚愕して、いつしかRAPTブログだけを読むようになっていたのです。

そう考えると、暇だったからとはいえ、陰謀論サイトを渡り歩いていたことに関しては無駄ではなかったのかもな、とも思います。陰謀論に興味がなければ、RAPTブログにも出会えていなかったでしょうから。もしくは、神様がRAPTブログに出会えるよう、陰謀論に興味があるよう仕向けてくださったのかも?

いずれにしても、RAPTブログに出会い、有料記事を読み始め、信仰生活を始めてから、私の生活での様々なことが変わりました。

そのひとつが「暇を持て余す」というのがなくなったことです。

「暇だなぁ、何をしよう?」と思うことがなくなり、その代わりに「時間ができたから、聖書を読もう、御言葉を復習しよう、賛美しよう、個性才能を伸ばすための努力に費やそう」と思えるようになったのです。「暇だ」などと言っている暇などなく、もっと時間があったらいいのに、と思うようになりました。

まさか、四十代半ばで、自分の人生にこのような変化が起きるとは思ってもいませんでした。

いや、もしかしたら心のどこかで常に望んでいたのかもしれません。

しかし、そのきっかけも術も分からなかった。何か新しいことをやってみようとしても、もうこんな歳だし、手遅れだろう。たとえ始めたとしても、ちょっとした趣味程度で終わってしまう。それじゃ、意味なんてないじゃないか、という結論に至り、何に対してもやる気が起きなかったのです。

そのやる気を起こさせてくれたのが、RAPTブログにあった有料記事です。

その記事を読み勧めていく内に「自分はまだまだ成長できる」「今からでも手遅れではない」「大きなことを成し遂げられるかもしれない」という希望が湧いてきて、ワクワクしてきました。

目標を定めて、それに向かって努力をする日々。

それは、RAPTブログに出会う前に味わっていた「自分は何もできない」という失望感や、いつの間にか時間が過ぎ、歳だけをとっていって、このまま死に向かっているだけだ、という絶望感とは真逆の感覚で、まさに人生が180度変わったといえます。

もちろん、信仰生活を送るにあたって、辛いこともありますし、思うように信仰生活を送れないことへの自身に対する落胆も多々あります。怠惰な自分が顔を出し、自己嫌悪に陥ってしまうこともあります。

それでもその度に悔い改めて、頑張っていこう、という気になるのは、ワクワクした気持ちを取り戻したいからです。

もう「暇だ、何をしよう」などと考えているような単なる暇潰しの空虚な日々に戻りたくない。

私の人生を素晴らしいものに変えてくださったRAPTさんに感謝し、今後も自身の定めた目標に向かって、努力しつつ、信仰をより深いものにしていきたいと思います。

#RAPTブログ #信仰生活 #暇 #陰謀論 #希望

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