霊的に鈍感

昨日の御言葉を聞き、私は本当に霊的に鈍感なんだなぁ、と思いました。

だからこそ、御言葉に出会う前までは、散々罪を重ねる生活をしていたのにも関わらず、自分は幸せだと思い込み、時折顔を出す空虚な気持ちを無視して、毎日が楽しいと言い聞かせて生きていけたのだと思います。

しかし、御言葉に出会い、神様の存在を知り、サタンの存在を知ってからは、自身がサタンの作った偽りの幸せ中で生活をしていたのだと悟りました。

ただ、霊的に鈍感なのは変わらず、おそらく攻撃されていたことも知らずに信仰生活を送っていたのでしょう。そして間違いだらけのズレた信仰生活へと誘導されていたのだと思います。

実際、肝心なところでいい加減になったりしていました。その最たるものが、祈りの時間でした。途中、どうしても眠ってしまったり、記憶が飛んでしまったりしていた。

ただ、それに関して勝ちに転じたのが「歩きながらの祈り」でした。ずっと負け続けていて、やっと、という気もしますが、それでも打ち勝って深く祈ることができるようになったのはとても大きいと思います。

しかし、これに関しても、御言葉が宣布された当初は、すぐに実行しませんでした。自身の凝り固まった考えが離れずにいたのです。

それを変えられたのは、兄弟姉妹の方々の証でした。それらを読んでいるうちに、自分もやってみようと思ったのです。そしてそれ以後、毎日続けられているのも、皆様の証を読んで、自分と同じように同じ時間に祈っている兄弟姉妹がいる、という思いもあるからだと思います。
皆様には本当に感謝しています。

ただ、まだまだサタンに完全に勝利したと言えるには程遠いと思っています。気を抜くとすぐに怠惰な気持ちが現れますし、イラッとすることも多々あります。義の条件をたてるためにやるべきこと、やりたいことがたくさんあるにも関わらず、気付かない内に全く関係のない別のことをやっている、ということもよくあります。

こういったことをひとつづつ虱潰しに探していき、悔い改めていかなければ、と思います。自身のすべての行動が神様のため、信仰のため、人々の救いのためになったとき、初めてサタンに勝利できたと言えるのかもしれません。

そのためにももっともっと義の条件をたてていかなければ、と気を引き締めています。

なにより、川田さん、奈々さん、Aさん、そして十二弟子候補の方々が守られ、サタンに打ち勝てるよう、真心を込めて強力にお祈りいたします。同時に、自身もサタンとの戦いに勝利出来るよう、祈り求めていきたいです。

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