後悔していたこと

私にはずっと後悔していたことがありました。

それは大学に行かなかったことです。

子供の頃からずっと「大人のひいたレールに乗って生きたくない」という思いが強く、なにか他人と違ったことをやりたい、と常に思っていました。

だから大学に行かなかった。

と言えば聞こえがいいのですが、要は勉強が嫌いで、高校時代はバンドなどの趣味に没頭して全く勉強をしなかったので行けなかった、という話です。

ただ、高校当時は、卒業したら海外に行くと決めていたため、気負いをすることもなく、受験勉強を必死で頑張っているクラスメイトを尻目に、むしろ他人とは違うという優越感さえ持ちつつ、気楽に過ごしていました。

そして、二十代を海外で過ごし、様々な経験はしたのですが...

海外では大学に行ったものの、やはり勉強嫌いは治らず、結局卒業出来ずに終わりました。
仕事もしていましたが「経験」と呼べるほどの実力は身につかなかった。
結局、ちょっと外国語が話せて、外国人の友だちがたくさんできた、程度で、日本の社会ではあまり実用的ではありませんでした。

ですから、その間になにかを成し得たか? と問われると、具体的なものはなく、むしろ無駄に過ごしてしまったのではないか、という思いに駆られていました。

そして「こんな事なら、日本で大学を出ていれば良かった」という思いが浮かぶようになりました。
(そもそも入れなかったのだから、無理な話ですが)

その後、日本で働き始め、色々な人と知り合うようになったのですが、そこで時折話題になるのが大学の話。

私は大学に行かずに海外にいたことを話し、その経験を話すと、一応その場では体裁を保てたのですが、それでもその度に「大学を出ていれば」という思いは強く残りました。

そしていつしか、高校の頃に勉強を頑張っていれば、そして大学を卒業していれば、という思いが強くなり、大学に行っていないことがコンプレックスとなっていました。

海外で生活していた、と言っても、所詮高卒だし、大卒には到底かなわない。学歴なんて関係ないよ、と言われても、それは学歴がある人が言っていることで、学歴のない人からすると、卑屈になるしかない。

何を言われたわけでもないのに、勝手に劣等感を味わっていました。

心から学歴などどうでもいい、と思えるようになったのは、RAPTブログの有料記事を読み始めてしばらく経ってからです。

たとえ勉強が出来なかったとしても、個性才能を伸ばし、活かすことで、満ち足りた日々を過ごすことができる。過去の学歴にこだわらなくても、今を懸命に生きればいい。

心底そう思えるようになったことで、学歴など全く気にならなくなったのです。

そして最近になって、RAPTブログに出会う以前を思い出したときに、自分がどれだけ他人の評価を気にしていたか、を思い知りました。

結局、自分が得たかった学歴というのは、人に「すごい」と思われたいがためのものに過ぎなかった、と気付いたのです。

同時に高学歴というだけで「すごい」と評価していたことにも気付きました。

RAPTブログでは、人からの評価を気にするのではなく、神様からの評価を気にするよう学びました。
更に神様のためにすべてを捧げているRAPTさん、十二弟子の方々、そして兄弟姉妹をスゴいと思うようになりました。

大学について、ミナのラジオでもRAPTさんが語ってくださっています。

私はRAPTブログによって過去の呪縛から解かれたような感覚を得ました。

過去を後悔しながら生きるのではなく、希望ある未来のために、そして死んだあとも続く永遠の生のために、今現在を精一杯神様のために生きるよう努力しなければ、という思いを持つようになりました。

まだまだ怠惰な自分が顔を出すことがあります。すべてを神様に捧げきれず、申し訳ない気持ちになることもあります。

ただ、御言葉によって、この世で生きる上で絶対的に正しいこと学べ、個性才能という自分が楽しいと思えることを伸ばすことで、神様が喜んでくださるかもしれない、と思えるのは希望です。

本当にRAPTブログに出会えて良かった、と思います。

やるべきことは大学に入るための受験勉強ではなく、神様のために自身の個性才能を伸ばすこと。
重要なのは学歴ではなく、どれだけ神様を愛することが出来るか、ということ。

多くの人がRAPTブログを知り、有料記事にて信仰生活を始め、学歴にコンプレックスがある人は、それを絶ち切って、希望ある素晴らしい日々を送れますよう、願います。

#RAPTブログ #御言葉 #大学進学 #学歴

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