なぜ聖書を読みたいと思うのか

昨日の御言葉を拝聴し「そういうことだったんだ」と腑に落ちることがありました。

それは聖書についてです。

私はラプトブログの有料記事を読むまで、聖書とは無縁の生活を送っていました。
全く興味がなく、友人の結婚式などで聞く聖句も耳に残ることはありませんでした。実際に聖書を見たのも、泊まったホテルの引き出しを開けた時くらいで、そんなときも、なんだか見てはいけない物を見てしまったような気になって、すぐに引き出しを閉めていました。

なぜか、聖書を軽々しく見てはいけない、読んではいけない、と思っていたような気がします。私にとって、聖書はとても遠い存在でした。

聖書を読み始めたのは、ラプトブログの有料記事を読み、信仰生活を始めてからです。ただ、多少興味はあったものの、どちらかというと「信仰生活をするのであれば、聖書を読まなければならない」といった半ば強制的な感覚で聖書を購入しました。

それでも、私は本を読むのが好きで、常に本を持ち歩き、暇さえあれば本を読んでいたので、聖書も同じような感覚で読めるのではないかと思っていました。

しかし、いざ読み始めてみると、内容が全く頭に入ってこない。集中して読もうと思っても、すぐに他のことを考えていて、単に字を追っているだけになっている。こんなことは他の本を読んでいるときにはなかったので、困惑してしまいました。

そこで「もしかしたら、このペラペラな紙の質感に慣れず、字も小さくて読みにくいのかもしれない」と考えてアマゾンのKindleを購入して読むことにしました。
しかしながら、以前と同じで、いくら読み進めようとしても、内容が頭に入らない。

それでも聖書を読まなければ信仰生活をしているとは言えない。

そのため、たとえ理解できなくても、集中できなくても、字を追うだけになってしまっても、我慢して読み進めていきました。幸い、本、というより字を読みたい、という欲求は常にあり、暇さえあれば本に意識を向ける習慣はついていたので、多少苦痛ではありましたが、それまで読書に費やしていた時間を聖書を読む時間にあてるようにしました。

そして、やっとの思いで一回目の通読を終えたのですが、通読の達成感はあったものの、ほとんど理解できておらず、モヤモヤとした思いばかりが残っていました。

やはり、何度も何度も読み返し、御言葉も一緒に学びながらでないと、理解が出来るようにはならないのだろうな。

そう思い、すぐに二回目を読み始め、そして三回目、四回目と繰り返し読み進めていきました。

聖書というのは本当に不思議な書物です。

何度読んでも新たな発見がある。それは私が集中して読めなかった箇所もあるから、という理由もあるのでしょうが、それにしても毎回違った解釈が出来るところがあったり、何度も読んでいるはずなのに全く内容を覚えていない箇所があったり。

そして、繰り返し読むことで理解が深まり、次第に好きな箇所、好きな聖句が出てくるようにもなりました。更に「あ、ここはあの時の御言葉で話してくださったところだ」とか「あの御言葉はこの聖句から来ているんだ」と楽しみながら読めるようになり、当初に感じていた苦痛がいつしかなくなっていました。特に旧約聖書は一つの壮大な物語として、情景を想像しながら読めるようになりました。

とはいえ、六回、七回の通読となると飽きてくるのではないか、という思いはありました。これまで読んだ本の中でも、もう一度読みたい、と思える作品はほとんどなく、あったとしても数冊、そしてそれらも二回が限界、といった感じでした。ですから、聖書とはいえ、さすがにそこまで読みたいと思えるのか、という不安が常にありました。

しかしその不安も杞憂に終わりました。
すでに「最低でも七回」と御言葉でおっしゃられていた新約と旧約の通読を終えている今でも、以前にも増して「読みたい」という意欲があり、積極的に時間をつくって聖書を読んでいるからです。

ただ、実はこの「読みたい」という意欲がどこから来るのかよくわかっていませんでした。
正直、七回の通読を終えた時は「とりあえず読まなきゃいけない回数はクリアしたし、あとは好きな所を読み流せばいいんじゃないか?」という考えがありました。
それなのに、その後も時間が空くと意欲的に、通読するように続けて聖書を読んでいる。

昨日の御言葉を受けて「これは私の霊が肉に対して聖書を読むように仕向けて、喜んでいるんだ」ということが理解できました。

霊的に鈍感だという意識が強い私は、霊の成長についてはよく分からないだろう、と諦め気味だったのですが、ここに来て、やっと「そういうことなんだ」と分かりました。

同時に、いつの間にか成長していたんだ、と気付き、嬉しくなりました。

最初は苦痛で、義務的に多少無理をしてっていたけれど、諦めずに続けてきてよかった。

この「続けることの大切さ」を教えてくださり、その先にある「喜び」を与えてくださった神様とラプトさんに対して、感謝の気持ちでいっぱいです。

今後も引き続きコツコツと聖と聖書を読み進め、まだ理解が出来ていない箇所も理解できるよう、御言葉も学びつつ、更に成長していきたいです。

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