夏に受けた裁きについて

今年の夏に受けた裁きについて。

ある方が「痒み」について書かれていました。

私も今年の夏、原因不明の痒みに襲われました。

元々私はアレルギーのようなものはなく、身体も至って健康で、恵まれていたと思います。

そして痒みに関しても、比較的蚊に刺されやすい体質だとは認識していましたが、アレルギーをもっている方のような苦しみは味わったことが無く、痒みがあっても塗り薬を塗ればすぐに治る程度のものばかりでした。

それが、今年の夏、足首辺りに強烈な痒みを覚えました。当初、蚊に刺されたのだと思っていたのですが、明らかに普段の蚊とは違う腫れ方で、痒みも強く、ボリボリと掻いて、薬を塗る、といったことを繰り返していました。ただその時は、蚊ではないなにか、ブヨとかその類に刺されたのだと思っていました。

しかし、その後、痒みは両足首辺りから、脛の辺りまで広がり、同じような腫れが出てきました。更に、手の甲から手首の上あたりまでも同じような痒みに襲われました。

原因は全く分かりません。とにかく痒いので、塗り薬を常にバッグに入れて持ち歩いていました。

周りからは病院に行くよう言われましたが、私はこれが神様から来るものだと思いはじめていたため、病院に行っても無意味で、治すには神様に祈りもとめるしかない、と考え、病院には行きませんでした。

ただ困ったのは明け方の祈りの時間です。

私は毎晩クルマで山に行き、そこでお祈りをするのですが、痒くて祈りに集中出来ないのです。それでも虫よけと痒み止めを塗り、とにかく痒みが早くなくなるように祈りました。

「痒み」について書かれていた方が、ヨブ記について言及されていました。私もヨブ記を思わせる経験だと思い、もしかしたらヨブ記の中に私自身が気付いていない罪があるのではないかと考え、ヨブ記を読み返してみました。

すぐに飛び込んできたのは「われわれは神から幸いを受けるのだから、災いをも、うけるべきではないか」という聖句です。

私はその少し前、神様からの祝福とも思える経験をしていました。引っ越しを考えていた私は物件を探していて、とても良い部屋が見つかったのですが、一番手がいて抑えられているため、その人がキャンセルしたら良い、という条件でした。そこで神様に「その引っ越し先が御心なら、引っ越しをさせてください。そうでないのなら、諦めて他を探します」と毎日のように祈り求めていました。

結果は、二か月経った後、一番手の人が契約を終え入金までも済ませていたにも関わらず、事情があってキャンセルになり、私たちが住めることになりました。しかも、その方が入金を終えていたため、最初の一か月の家賃が無料になったのです。

私はその件に関して、神様に感謝していました。神様がそのようにしてくださったと思ったからです。

そんな時の痒みでした。

幸いも受けるが災いも受ける。

しかし、受け入れるだけではダメです。なぜ裁かれているのか、悟らなければならない。

私は過去の罪を思い返し、悔い改めました。それでも痒みは止みません。むしろ酷くなる一方です。

私はとにかく「痒みを消してください」と祈ることしか出来ませんでした。

結局、なぜ裁かれたのか、自身の罪がよく分からないまま、痒みは次第に消えていきました。
今ではあの頃の痒みが嘘のようで、全くありません。ただ、激しくかいた跡が数か所薄っすらと残っていて、それを見ると痒かった時を思い出します。

今、思い返してみると、もしかしたら、祝福を与えてもらったからと言って、浮かれて思いあがるな、という事だったのかもしれません。「祝福してもらったから、罪がなくなった」などと考えるな、と。

私は罪深い人生を送ってきました。
今まで、それらを悔い改めてきたつもりでしたが、まだ気付かず、悔い改められていない罪も多々あるのだと思います。すでに悔い改めたと思っている罪でも、まだ許してもらえていない罪もあるのだと思います。

たとえ祝福を受けたとしても、だからといって、そうした罪が許されたわけではない。

祝福を受け、自分はすべて許されたのではないか、と勘違いをしてしまったため、それについて教えてくださったのかもしれないと、痒みが去ってから、大分経って悟りました。

今後も慢心せずに、自身の罪を探し、悔い改めていきたいと思います。

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