神様側

数年前、私が御言葉に出会って少し経ったころのことです。

まだ、信仰生活に完全には踏み切れておらず、どうするべきか考えている時期がありました。それまでずっと罪深い生活をしていたので、なかなか切り替えることができなかったのです。

それでも少しずつ御言葉を頭に蓄えるようになり、徐々に「すべてを受け入れて、信仰生活を始めなければ」という気持ちに傾きつつ、友人知人に「どうやら神様は存在するみたいだ」という話をしていました。

そんな中で、いつも訪れていたバーに行きました。今となってはその時、まだお酒を飲んでいたのか、すでにやめていて友人の付き合いでその場に行ったのかは定かではないのですが、そのバーで、ある知人に会いました。その彼とはそこでしか会わず、お互いのあだ名を知っているだけで連絡先も知りません。友人の知り合いで、名のある会社に勤めている、というのは聞いていましたが、それ以外は全く知りませんでした。それでも会えば色々と話をする仲ではありました。

そして、その日も彼と話しました。何を話したかについてはほとんど覚えていないのですが、ただ、ラプトブログについて、そして御言葉について話したのはなんとなく覚えていて、その時に私は「要は神様と悪魔との戦いなんだよ」と言いました。なぜそれを覚えていたのかというと、その後の会話が衝撃的だったからです。私が続けて「俺は神様側につきたいから、信仰生活を始めようと思っている」と伝えると「そっち側かぁ」と言ったのです。彼は悪魔側につきたい、と。

まだ信仰が入っておらず、神様を絶対的に信じるまでに至っていないその当時の私でも、二者択一なら絶対に神様側につきたい、思っていましたし、当然誰もが神様を選ぶだろうと思っていたのですが、皆がそうではなかったのです。

その後、私は信仰生活を始め、そのバーにも全く行かなくなったので、それからは彼がどのように過ごしているのか分かりませんが、サタン側についたのであったら、この終わりの時につらい思いをしているのかもしれません。

そのことを急に思い出し、書き出してみようと思ったのですが、それが何を意味するのか分かりませんでした。

私はなにか思い立ったとき、とりあえず書き出してみることにしています。そのようにすると、書いているうちに何かに気付いたり悟ったりすることがよくあるからです。

しかし、今回は書き始めても何も思い当たらなかったので、ひとまず途中で書くのをやめて、明け方の時間に神様に聞いてみることにしました。

そして明け方の時間。
しばらくそのことについてお祈りしていると、ある考えが浮かんできました。それは、まだまだ自分の基準で物事を考えているのではないか? ということです。

あの時、サタン側につくと言ったごく身近な知人に対し、私は「信じられない」という感情を抱いていました。それは自分の基準で物事を考えていたからで、神様からしたら、サタン側につく人間がいることなど珍しくなく、驚くべきことでもないのだと、その後の信仰生活で知りました。

そもそも「悪魔崇拝者」が実在することさえも、RAPTブログに出会わなければ知らなかったでしょう。たとえ知ったとしても、自分とは全く関係ない世界で、自身の日々の生活にも影響を及ぼしているなどという考えには至らなかったと思います。

あの頃から比べて、どれだけ成長できたか。御言葉で多くを学び、聖書を繰り返し読みながら信仰生活を送ってきたけれど、果たして神様の考えで頭の中が満たされ、神様の基準で物事を考えられるようになっただろうか。

そう考えた時、まだまだそのように出来ていないな、と思いました。すっからかんだった信仰前よりはマシになっている。しかしマシになった程度では神様の心情など分からないし、神様の基準で物事を考えるなど到底無理だ、と。

そして、いくら多くの御言葉を学び、聖書を繰り返し読み、知識を蓄えても、すべての物事を神様の基準で考えられるように変わらなければ意味がない、と改めて悟りました。

繰り返し御言葉で伝えてくださっていることなのに、どうしても「とりあえずやっていればいい」という義務的考えにズレていってしまいます。

あの当時を思い出したことで、信仰生活において軌道修正が出来たかな、と思いつつ、まだ気づいていないズレがあるのだろうな、と気を引き締め、すべてを修正して、正しいゴールに向かえるよう、祈り求めていきたいです。

#RAPTブログ #御言葉 #聖書 #信仰生活

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