ワクチン接種を話題にする意味

ここ数ヶ月、コロナ騒動も一段落したからか、人と会う機会が少しずつ増えてきました。

そんな中、私は会った人には積極的にコロナワクチン接種について話題にしています。

残念なことに、今では「一度も接種していない」という人は稀で、ほとんどの人が二回、ないしは三回の接種を終えています。
(まだ一回しか接種していません、と申し訳無さそうに言う人もいました)

打った理由は様々ですが、会社の立場上やむを得ず、という人がほとんどで、二回は打ったけど三回目は迷っている、という人が多くいました。

そこで、まだ三回目を打っていない人には「絶対にやめるように」と言って、ワクチンに危険性を伝えています。
そのためにコロナワクチンの話題を出しているといっても過言ではありません。すでに二回打ってしまったのか、という落胆もありますが、せめて致命的な三回目は阻止したい、という思いからです。

ネット上では、未だに一度もコロナワクチンを打っていない人は異常だ、といった風潮もあるように見えますが、実際にはそんなこともなく、私が「一度も打っていない」と言っても「いいですね。それが正解ですよ。私は仕方なく…」や「本当は打ちたくなかったんですが」という反応がほとんどで、打っていないという理由で私自身が迫害されたことは、今のところ一度もありません。

そのワクチンを打った理由の中で「海外に行きたいから」という人がいたので、詳しく聞いてみると、今は接種証明がないと、海外に行けないんですね。知りませんでした。ただ、国によって基準が様々で、二回の接種でいい国もあれば、三回接種しなければダメな国もあるようです。

私はその話を聞いて、もし自分がRAPTブログに出会っていなかったら、コロナワクチンを打ってしまっていただろうな、と思いました。以前海外で生活していたこともあり、友人知人も多いので、また海外に行きたい、という思いがあるからです。そして、たとえワクチンの危険性を陰謀論として知っていたとしても、ワクチンを接種していないという理由で海外に行けない、というのもなぁ、と思っていたかもしれません。そして、周りのみんなも打ってるし、まぁ大丈夫か、と楽観的に考えてしまっていたかも。

RAPTブログに出会い、御言葉を学んでから「目先のことにとらわれない」という考えが身についたように思います。

もしワクチンを打って海外に行けるようになったとしても、ワクチンによって体調を崩しがちになってしまったら、海外どころではなくなってしまう。もしRAPTブログに出会っていなかったら、自身の安易な考えから、海外に行けないという目先のことで、健康体でいる、という、生きていく上で最も大事なことを見失っていた可能性があります。そして、単に「海外に行きたい」という考えだけに囚われ、それが、より大切なのだと思い込んで、最終的にコロナワクチンを打ってしまったように思うのです。

RAPTブログのおかげで、何がより大切なのか、何がより重要なのかを広い目で冷静に考えられるようになりました。

なにより、生きていく上で一番大切なものが何かを学び、それを基準に物事を考えるように、少なくとも、その基準で生きようと努力するようになれたおかげで、人生において、選択を迫られた時、大きな間違いを犯さなくなりました。

そして、迷ったときには神様に祈り求めれば、最善の方法を教えて導いてくださる、という安心感が常にある。

この安心感は、実際に体験してみないと分からないように思います。

今、テレビでは不安を煽ることしかやっていません。ネットのニュースも同じです。そして個人の噂話のレベルでも、不安になるような話がたくさんあります。

そんな不安から解放してくださったRAPTブログ、更には有料記事の御言葉に本当に感謝しています。

そういえば、最近久しぶりに道端でばったり会った知人の中に弁護士の方がいました。

その方は「コロナワクチンは打たない」と以前から言っていたので、会った際にまだワクチンを打っていないか聞いたところ「打っていない」と言っていました。

私も「まだ打っていないし、今後も打つ気はない」と伝えると「一緒にノアの方舟に乗りましょう」と言ってきました。

彼には私がクリスチャンだということは伝えていないし、彼がクリスチャンだという話は聞いたことがないけどな、と思いながらも、そういう考え方もあるのかな、と思いました。それだけ、彼もコロナワクチンに対する危険性を熟知しているのだと。

いずれにしても、今後も多くの人がRAPTブログに出会い、有料記事に記されている神様の御言葉によって救われることを祈り求めます。

#RAPTブログ #御言葉 #神様 #コロナワクチン #三回目

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