嫉妬心について

新たな十二弟子がたてれられ、本当に嬉しく思い、感動すると共に、今後は、新たな十二弟子、そして十二弟子候補に選ばれた方々のために、より一層祈らなければ、と思い、気を引き締める日々を送っています。

そんな中、その後の御言葉で、十二弟子になった人に嫉妬する人も出てくる、と伝えられたのですが「そういう人もいるのか」という思いに駆られました。自分にはそういう感情は全く無かったからです。

そして、その時ふと「いつしか自分は『嫉妬心』に関して克服していたんだ」と気付きました。

元々私はそれほど極端に嫉妬深い人間ではなかったと思います。比較的恵まれた環境で育ってきたと思いますし、日々の生活にもそれほど不満がなかったからです。

ただそれでも嫉妬心というのは少なからずありました。いいクルマに乗っている人、家を建てた人、金持ちの家に生まれ育った人、地位や名声を得ている人、高学歴の人、イケメン、頭のいい人…(書き出してみると、結構ありました)

更に、十代、二十代の頃には恋愛に関する嫉妬もありました。気になる女性が他の男と話しているだけで異常に気になってしまったり、好きな女性が誰かに誘われたと知るだけで嫌な気持ちになったり。

さすがに三十代の半ばをすぎると、恋愛に関する嫉妬心というのはなくなりましたが、それでもなにかしらに嫉妬してしまうことがたまにあり、その度に、自己嫌悪に陥ったりしていました。

しかし、ラプトブログに出会い、信仰生活を始めて御言葉を学び、聖書を学んで、自分なりに個性才能を伸ばそうと努力してく日々を送っていく内に、いつしかそういった嫉妬心がなくなっていたのです。

時に、兄弟姉妹の素晴らしい証を読んだり、ブログ、動画を観て、うらやむことはありましたが、それは嫉妬というネガティブな感情とは違い、至らない自身の信仰に焦りを覚えて反省しつつも、自分ももっと頑張らなければ、と自身を奮い立たせるようなポジティブな感情でした。

そして、それまで嫉妬していた人達に対しては、羨ましいとは全く思わなくなっていました。それは意識して無理やりそうしているのではなく、心底からそんなことはどうでもいい、と思えるようになっていたのです。

ですから「嫉妬心」がどのような感情だったのかを忘れていました。

しかし思い出してみると「嫉妬」というのは本当に嫌な感情でした。嫌なのに自分ではどうすることも出来ない。そのことについて考えるのを止めようと思っても、少しすると沸々と頭に浮かんできて、それについて考えてしまっている。忘れ去りたくても忘れられない。そこから自力で抜け出すのが難しく、時間が経って感情が薄れるのを待つしかありませんでした。

その嫌な感情が自身からなくなったというのは、生きていく上で本当に楽ですし、喜ばしいことです。

ラプトブログに出会わず、信仰生活を送るようになっていなかったら、未だにその嫌な感情である「嫉妬心」と付き合って日々の生活を送らなければならなかった。

この点だけ見ても、私は十分救われたのだと思いました。

...と今、これを書いている時、「嫉妬心」を私から取り払ってくださったことに対して、神様に感謝の祈りを捧げていなかったことに気付きました。
今後、それに対しても感謝の祈りを捧げていきたいと思います。

さらに「嫉妬心」などの嫌な感情を抱え込んでつらい思いをしている方々に、それらを克服する術がラプトブログの有料記事で学べると知ってもらいたいという思いが強くなりました。

私自身、まだまだ悔い改めなければならない感情が多々ありますが「嫉妬心」を克服出来たのは、とても大きいと思っています。

そのことをもっともっと多くの人に伝えたい。ラプトブログを広めたい。

そのためにも今後も自分が出来ることを精一杯コツコツとやっていきたいと思います。

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