天の文化芸術について

少し前に、ラプトさんがInstagramでの動画で、芥川賞について言及されていました。

これまで読んできた小説の中には素晴らしい作品もあったのですが、全く良さが理解できなかったのが、芥川賞を受賞した作品でした。一時期、文学賞をとる作品は素晴らしいはずだ、という思いから、直木賞や芥川賞、その他様々な受賞した作品を読んでいました。そして、その中でなにが凄いのか、素晴らしいのか、全く分からず、理解できない作品も多々ありました。しかし、賞をとるくらいだから、素晴らしいのであって、それは作品を理解できない自分が悪い、と思っていました。

小説以外にも、理解できない芸術は多々あります。

その中でも特に理解できなかったアートのひとつに「バスキア」がありました。

私はポップアートにハマっていた時期があり、アンディ・ウォーホールやリヒテンシュタイン、キース・ヘリングなどがカッコイイと思っていました。その中で、バスキアも知ったのですが、彼の作品に関しては、どう見ても子供の落書きにしか見えない。技術も無ければ、色合いや感覚的なところも美しいと思えない。しかし、アンディ・ウォーホールとコラボしていたりして、作品が高額で取引され、有名な美術館に飾られていたので、凄いんだろうな、と思っていました。そしてバスキアを知っている、ということだけで、自分はカッコイイと思っているフシさえありました。

しかし、結局はドラッグ漬けで幻覚を見ながら描いていた作品に過ぎなかった。

ラプトブログに記されているラプト理論、そして御言葉を知り、文化芸術がサタンによるもので、しかも才能も実力も無いのに上級国民だから、という理由で売り出したりすることもある、と知り、私はある意味ホッとしました。理解できない訳のわからない作品は、自分の乏しい理解力や知識のせいではなかったのだと。

そして、ほんの一部の限られた人だけが称賛し、異常なまでに持ち上げられているものの大半は、上級国民の意図が隠されているのだな、という見方が出来るようになりました。

これまで文化芸術の分野はイルミナティが牛耳っていました。サタンが支配していたのです。そして人々を堕落へと導くよう仕向けていました。

しかし、神様が降臨した今、サタンによる文化芸術は廃れていくでしょう。(神様が降臨されていることについては、詳しくラプトブログの有料記事に記されています)

そして、初期の御言葉からずっと言われ続けているように、今後は神様を信じる義人達が天の文化芸術を広げていく。

この世に天の文化芸術が広がったら、どれほど素晴らしいか。想像を絶します。

ラプトブログにはどのように天の文化芸術の技術を自身が得られるか、そしてそれを世界に広げられるか、といった術が記されています。

神様を信じ、神様に祈り求めれば、与えてくださる。もちろん努力は必要ですが、その上で神様に祈り求めれば、必ず得られます。

より多くの人が、そのことに気づき、天の文化芸術の技術を身につけて、発信していけば、サタンの文化芸術はより早く淘汰されます。

今、すでに技術がある人はもちろん、まだ無い人も神様のレベルまで到達出来る可能性を秘めている。

これは希望です。神様に頼れば何でも出来る。そう信じるだけでも、なんの希望も見いだせず、暗い日々が一転します。向かうべき素晴らしい未来が見えれば、あとはそこに突き進むだけ。

私自身、日々、自分を高めようと努力することで、未来への希望を見出し、充実した日々を送っています。

サタンに攻撃されて落ち込むこともありますが、それでも神様に共にしてくださっている、と信じることで、その希望を持続させています。

多くの人にその希望的日々を知ってもらいたい。

そう願っています。

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