半年以上前、引っ越しが決まって数日が経ったある日、母から連絡があり「叔母が例年通り梨を送りたいのだけれど、今年は郵送が出来ないから持ってきてくれるって言ってたけどどうする?」と言われました。

ちょうどその数日前「引っ越しが決まったし、今度買い物がてら叔母のところに行こうかと思っているんだけど一緒に行かない?」と、母に話していたところでした。その叔母の家までは車で二時間程度、その近くに私の住む地域にはない某家具店があったのです。

母はその話を叔母にして「ちょうどそちらに行こうと話していたから、また連絡する」と伝えていたようでした。

ただ、母はすぐにでもその家具屋に行くものだと思っていたようでしたが、私たちは引っ越したあとを考えていました。引っ越したあとでないと、色々といるものが分からないからです。引っ越しは一ヶ月先、さらに引越し後の片付けなどを考えると、一ヶ月半、もしくは二ヶ月後くらいになるだろうと考えていました。

そこで、それを母に伝えると「それじゃ梨を取りに行くのは無理だね」という話になったため、少し妻と話してみようと思って数日保留にしてもらうよう言いました。

帰宅後、妻にその話をして「引越し前でも間取りは分かっているし、行っちゃってもいいかも? って思ったんだけど、どうだろ?」と聞いたところ、明らかに不機嫌になりました。

普段、あまり不機嫌にならないので、その時点ではなぜなのか理由が分かりませんでしたが、話しているうちに、どうやら引っ越したあとに行きたいと思っていたようだと気づきました。そこで「確かに引っ越したあとじゃないと分からない事がたくさんあるね。やっぱり引っ越したあとに行こう。梨は諦めるよ」と言うと、それに対しても「そんなに言うなら、引越し前に行けばいい」と言って怒ってそのまま寝てしまいました。

別に嫌味で言ったわけではないし、実際一ヶ月後には梨はないのだから諦めなきゃいけないってのは事実だけど、いかにも残念そうに言ったわけでもないのですが、なぜかその日は虫の居所が悪かったのか、そんな感じで、こちらとしても訳がわからない状態でした。

 翌朝、そのことには触れずに、普通に家を出て会社に行きました。ただ帰ったら話さなきゃならないと思うと、少し気が重くなっていました。

 その日の昼前、母から連絡が来ました。

「叔母が今日梨を持って来てくれる」とのこと。

 実はその前夜、妻と話をしたあとに、叔母の家に行くのは引っ越しあとだ、と母にLINEで伝えていました。多分、その事を叔母に伝えたのでしょう。そして叔母はそれなら、当初の予定通り持っていきましょう、という話になったのだと思います。それに関してはそこまで驚きではないのですが、その行動の早さには驚きました。同時に「これで妻との気まずい雰囲気もなくなる」と思いました。

 叔母は車で来るとの話でしたが、実際には新幹線で来ました。重い梨を持って。

 仕事の休み時間を少しずらし、叔母に会えたため、お礼を言い、その後、妻に叔母が梨を持ってきてくれたことを知らせました。妻も驚いていて、同時に喜び、お礼を言っていました。

 その翌日の午後くらいです。ふと「これも神様がしてくださったことなのでは無いか?」という想いに駆られました。私が妻と険悪なムードになってしまったことに対し、神様が対処してくださったのではないかと。

 叔母は住んでいる場所が二時間ということで、少し遠いため、私の地元にはあまり来ません。叔父が私の父の兄にあたるのですが、その叔父が亡くなってから十年以上経つため、最近では疎遠とまでは行かなくても、滅多に会うこともありませんでした。ですから今回「梨を持っていこうか?」という提案はあったとしても、そんなすぐに来るとは思ってもみなかったのです。

 もし叔母が来るのが一日先だったら、その夜は妻との関係はモヤモヤしたままで、話の方向によっては更に関係が悪化していたかもしれません。そしてその先ならそれが続くのです。しかし、叔母が梨を持ってきてくれたことで、すべてがキレイに解決してしまった。

 これは神様の御働きがあったとしか思えない。まさに神業です。

 そして私はその神様のスピードについていけず、結果、その日の明け方の祈りでは神様にお礼を言うこともなく、一日遅れて、明け方の祈りに神様に感謝したのでした。

 これも神様を愛し、信仰生活を送っていたからこその、不思議なしるしだと思っています。

 今回のことで、自分は本当に鈍いな、と思いました。神様からしてみたら、鈍すぎてイライラしてしまうレベルかもしれません。そうならないためにも、もっともっと信仰を深く持ち、義の条件をたてて、信仰生活をしていかなければ、と改めて思いました。

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