堕落

ここ最近、異性の罪を犯そうとするような夢を頻繁に見るようになっていました。

夢の中では、ある時は知り合いの女性、ある時は見ず知らずの女性を意識して必死になって追い求めていて、まるで自身の若い頃のようで、毎回嫌な思いとともに目が覚めていました。

信仰生活を始めて少し経った頃にはこのような夢をよく見ていたのですが、少し前まではほとんど見ることがありませんでした。
それがここに来て、頻繁に見るようになっていたのです。

そんな中での「堕落」についての御言葉。

やはり、私はまだまだ過去に犯してきた罪の悔い改めが足りないのかもしれない。

私が神様と出会ったときはすでに結婚していたのですが、結婚する以前は本当に多くの異性の罪を犯してきました。
そして、信仰生活を始めるにあたって、そのことに関しては悔い改めたつもりでいました。しかし、その罪は根が深かったのにもかかわらず、その時には表面的に刈り取っただけで、根こそぎ取り除くことが出来ていなかったのだと思います。

浮気願望はもともとありませんでした。しかし、結婚前のそれまでの自身の行為が罪だと知るまでは、それを恥とは思わず、むしろ自身の過去を密かに誇らしげに思っていた部分がありました。当時感じていたはずの虚しさも無かったことにして、良い思い出に塗り替えていたのです。
そして、悔い改めてからも、そういった思いを完全には切り捨てることが出来ずにいました。

ただ、さすがに信仰生活が長くなれば、そのような意識も薄れてきます。今となっては、過去の異性の罪についてはなによりも恥すべきことだったと考え、思い出す度にそれが罪だったと意識して悔い改めるようにしています。

ですから、今後実際に異性の罪を犯すことは絶対にない、と断言できるのですが、だからこそ、異性の罪に関する夢を見ると、本当に嫌な気持ちになるのです。

それにしても、なぜそのような夢を見るのだろう? と不思議に思います。もはや、その罪を犯すことなどありえないのに、どうして? 異性の罪に対する願望もほぼ消えているはずなのに。

サタンに攻撃されているのでしょうか。過去に散々異性の罪を犯してきた私に対し、それを弱点だと定め、そこに可能性をかけて、私が堕落して信仰から脱落するのをつけ狙っているのかもしれません。 

それは逆に言えば、私自身がまだまだサタンにつけ狙えるスキを与えてしまっている、ともとれます。
となれば、完全にサタンが諦めるまで徹底的に悔い改めるしかない。

そのように思うと、やはり神様に出会う以前に犯した異性の罪は悔い改めれば許してくださるとはいえ、完全に悔い改められるのはそう簡単にできるものではないのだな、と改めて感じました。

特に私のようにたくさんの罪を重ねてきた人間にとっては。

今後も自身の犯した過去の罪を徹底的に悔い改めていくと共に、そのような罪深い私を信仰の道へと導いてくださり、恵みを与えてくださり、時には不思議なしるしによって救ってくださり、喜びと希望を与えてくださっている神様に感謝しつつ、信仰生活を続けていきたいと思います。

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