若者への伝道

夏休みだからでしょうか。

明け方の時間に歩いていると、普段誰もいない河川敷や道端から若者の話し声が聞こえてきます。

辺りは街灯もなく暗いので、どんな感じの子たちなのかは見えませんが、声のトーンから中学生か高校生だろうな、というのがなんとなく分かり「こんな夜遅くになにをしているんだ」と思いつつも、自分もその頃は夜中に出たがっていたこと、そして、私の場合は親が厳しく、夜中に出ることは出来なかったため、その代わり早朝5時くらいに友人たちと公園に集まって、くだらない話をしながら過ごしていたことを思い出しました。

「せっかく神様と疎通しやすいこの時間に起きているのだから、友だちと、ではなく、神様と話をすればいいのに。もったいない」

そう思ってはみたものの、やはり思春期の若者に伝道するのは難しいかな、などと考えていました。しかし、若ければ若いほど犯している罪も少なく、その後の人生で、神様のために働ける時間がたくさんある、と思うと、若い人も伝道していかなければならない、と考えを改めました。

若い時に神様から得ていた構想を大人になって思い出し、それから始めるのと、若いころに構想を得てすぐに始めるのとでは、成長の速さも全く違うでしょうし、その後の可能性も計り知れない。

ただ、どうしても「宗教」となると、特に若者は受け入れるのが難しいように思えます。なんとなく宗教はダサい、といったイメージがまとわりついている。

私自身、若いころは宗教と聞くと、どうしても暗くて古臭いイメージを持っていました。そしてラプトブログに出会うまでは、暗くて古臭いイメージの他にうさん臭い、騙されたくない、という考えまで加えられ、宗教に対する拒否反応は相当なものでした。

それをどう払拭出来るのか。

ラプトブログで伝えられている神様の御言葉はそれらとは全く違うもので、キラキラと明るく輝き、新しい情報に溢れ、日々の生活が楽しくなり、自身の未来に夢と希望が持てるものだと知ってもらうにはどうすればいいか。

私自身は中学生、高校生のころ、サッカー、エレキギター、ダンス、武道などをやっていました。特に優れたギタリストに憧れていて「あんなに上手に弾ければ」と思いながら練習していたのを思い出します。ただ周りにすでに上手い人がいて、その人にさえ敵わないのだから、到底プロのギタリストになることなど到底無理だ、と諦めてしまっていました。更に親からも「プロになるには並大抵の努力では出来ない。それに才能もないと無理だ」と言われ、自分はそこまで努力できないだろうな、才能無いし、と思い、いつの間にか練習もやめてしまいました。

その頃はとても狭い世界で生きていて、その中でさえ大したことが無いのに、実力をつけて日本、世界で活躍するなど、絶対に無理だと思ったのです。

もし、その当時、神様に頼ることを知っていたら、そして、その思いを抱きつつ、神様に祈り求め、そのうえでずっと練習を続けていたら、すごいことになっていたのかもしれない。

インスタを見ていると楽器に長けている兄弟姉妹や絵に長けている兄弟姉妹がたくさんいます。その方達が神業を世界に向けて発信すれば、若者も神様に振り向くかもしれない! そんな希望が持てます。
しかし他力本願ではいけない。自分もなにかを探し求めてやらなければ。もしくは、私が今努力している個性才能を若者向けの伝道にも活かすことが出来るかも。

今後は、若者へ向けての伝道も意識しつつ、信仰生活を送っていきたいと思いました。

多くの若者がラプトブログに出会い、信仰を持ち、その上で努力し、素晴らしい技術を得て、それを世界に発信して、神様について証しする世界が訪れますように。

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