個性・才能を磨く意味

個性・才能を磨かなければ。

そう思うことがありました。

昨日、仕事で会食に行ったのですが、その場に同業他社で少し前に退職した方がいました。その方はずっと会社のため、業界のために尽力してきて、その系列会社の社長を歴任してきたのですが、100%出資の親会社である某メガバンクから来ていた執行役員から退職を強いられたそうです。

その方は66歳で、その会社の以前の規定であれば70歳までは働けたのですが、少し前に規定が変わり、一年ごとの更新となったことで、突如「若返りをはかる方針に変わったから辞めてください」と期日の一週間前に言われたそうで「業界のことをなにも知らない銀行員に辞めさせられた」と悔しそうに語っていました。それでも「サラリーマンだから仕方ない」とも言っていました。

仕事を辞めると、途端に誰からも誘われなくなり、関わってきた多くの人とも接しなくなり、まるで自分が隔離されているような錯覚に陥って、自分はこの世で必要とされていないのではないか、という感覚にとらわれるそうで、鬱になる人の気持がわかる、と言っていたのが印象的でした。

確かに社長としてバリバリやってきた人が、突然それを奪われたらどうしていいのか分からない、というのは想像がつきます。

彼の場合、仕事一筋で他に趣味もないため、毎日が暇でしょうがないということでしたが、それではこの先、30年は残っている人生、どうしていくのだろう? と心配になってしまいました。

もし予想外の早期退社でなかったとしても、数年先送りになっただけで、いずれは同じことになる。

サラリーマンであればいずれは行きつく場所です。

なにもすることがなく、やりたいこともなく、目標を失い、ただぼんやり生きていくというのはとても辛い事だと思います。

私は彼の話を聞きながら「そうか、神様はこのようにならないよう、私達に個性・才能を磨く重要性を御言葉で伝えてくださっているんだ」と思いました。

もし個性才能を磨いていれば、一生死ぬまで、いや、死んだ後さえも、それを活かして、心豊かに日々を過ごしていける。

(生きているうちに身につけた個性・才能は死んだ後も持っていけると、ずっと以前の御言葉にありました)

そして神様に愛されていると感じていれば、世間からの疎外感など感じることもなく、御心をなすために個性・才能を活かすことに没頭出来る。

個性・才能は、神様のため、人を救うため、多くの人を伝道するために磨かなければ、と思っていましたが、それらは最終的には自分の人生を最後の最後まで豊かにするためになっているのだと、改めて悟りました。

やはり、神様は愛をもってどこまでも私達のことを考えてくださっている。

今後も個性・才能を伸ばすべく、努力を積み重ねて行こうと思います。

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