自身の最大の欠点

昨日、常に神様に意識を向けるよう試みていたのですが、その中で、気付いたことがありました。
それは私自身の最大の欠点です。

今回、職場でつらいことがあり、どうしてもその事を考えてしまうので、その度に神様に意識を向けるようにしていました。ふと気付くとその事が頭に浮かんでいて、どうしようもない自己嫌悪感に陥り、いっそのこと消えていなくなりたい、という気持ちさえ頭を過るようになっていたので、本当にこれではマズいと思って、必死に神様に祈り求めていました。

そうしている内に、私は「何か都合の悪いことが起こると常に言い訳を考えてしまう」という欠点に気付きました。自分の都合のいいように理由をつけて、時には事実を歪曲してでも自分自身を正当化するために、色々と言い訳を考えてしまうのです。

その言い訳は、いつも対外的に伝えるわけではなく、単に自分自身を納得させるために考えることもあるのですが、とにかく「自分は悪くない」「こうなってしまったのは、あのようなことがあったからで、自分のせいではない」「本当はこう思っていたのに、実際にはそうなってしまった」と自分を正当化しようという思考に陥っていました。

そしてそれが習慣化し、常に反射的にそのような、いわば自分が主人公のストーリーを作り上げて、自分を守ろうとしていたのだと思います。そうしたことが以前の「楽観主義」につながってました。そして、最終的に「自分は悪くないからいいや」と自身の問題に真剣に向き合おうとしてこなかったのです。

私はこれまで「問題」というのは表面化したものだけを重要視していました。自身の内面の問題は表面にさえ出なければよい、自分の中で解決すれば良い、と。

そして内面的な問題は、自分の中で「まぁいいか」「なんとかなるか」と適当に折り合いをつけ、誤魔化して解決してきました。表面化した問題については神様に祈り求めていたものの、自身の内面的な問題に関しては、あまり神様を頼ろうとはせず、以前と同じように自分の考えで判断して解決しようとしていたのです。結果、表面的には解決しているように見えても、根本的には全く解決できていませんでした。

内面的な問題こそ重要で、それこそ神様に祈り求めなければ解決ができない。

今回、神様に祈り求めている中で、そのようなことを悟りました。

同時に自身の中にある「すぐに言い訳をする」という悪い癖を完全に悔い改めなければ、とも思いました。

RAPTブログの御言葉に出会い、学んでいく内に、そのような自身の中にある「言い訳をする」という欠点については薄々感づいてはいました。しかし、それでもやはり長年の癖は治らず、そしてそれが自身の大きな問題だという認識を持てずに、これまで過ごしてきてしまいました。

これでは自分の中に偽りばかりが蓄積されて、子供のような純粋な心から遠くはなれていくばかりです。

この自身の欠点である「すぐに言い訳を考える」ということを悔い改めない限り、今後成長していくことはできない。

実は、昨日神様に意識を向けている最中も、幾度となく言い訳のようなものが頭に浮かんできていました。そして時には「なんであんな言われ方を!」などと怒りにも似た感情さえ湧いてきました。「それほど怒るような事じゃないじゃないか」とも。

しかしその度に「言い訳を考えるな」という考えが浮かび、それによってそれらの考え、感情が打ち消されました。

サタンが入り込むたびに、神様が助けてくださっていたのかもしれない。

そして、もしかしたら、私の欠点の重大さを悟らせるために、神様が練達として、今回のことが起きるよう、仕向けてくださったのかもしれない。

そう思うと、胸が熱くなり、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

今回のことで、改めて神様の存在のありがたみ、そして神様の愛を感じました。

この感覚をより多くの人にも味わってもらいたい。

心からそう願います。

#RAPTブログ #悟り #言い訳 #欠点

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