眠気との戦いからの開放

明け方の時間、歩いて祈るようになって一番良かったと思えるのは、眠気との戦いをしなくて良いということです。

それまでは、毎回眠気と戦っていました。そしてそれに負けてしまって、気がつくと時間が過ぎていることも幾度となくありました。その度に悔い改めていたのですが、なかなか改善することができずにいたのです。

それが、歩くようになってからはそれが全くなくなり、常に祈りに集中できるようになりました。

去年のこの時期は、祈りの時間にウトウトしていたことが本当に多かったように思います。その理由のひとつに暖房をつけていたからだということがあります。暖房の暖かさは眠気を誘います。心地よくなってしまい、いつしか眠ってしまう。
ただ暖房をつけていないと、それはそれで寒くて凍えて祈りに集中出来ない。

最近、急激に冷え込んできているので、日に日に布団から出るのもツラくなってきていますし、身支度をしている時点で、外は本当に寒そうだから、今日はやめておこうかな? などという気持ちもわいてきます。そして実際に外に出た瞬間は寒さに怯みますが、歩いていればすぐに身体が温まり、寒さに対する気持ちは吹き飛びます。

ただ、ずっと歩き続けていると疲れてきますし、疲れたからといって寒い中でずっと止まっていたら凍えてしまうから、やっぱり暖房も必要なのだな、と思ったり。

そんなことを考えて入るうちに、これは信仰生活に少し似てるな、と思いました。

外から受ける暖房のような聖書や御言葉は、聞いているだけでもとても心地がいいけれど、それだけではダメで、自身が伝道のために個性才能を伸ばそうと動いて内側から温まることで、どこまでも熱く信仰を守っていくことができる。

ただ、ずっと個性才能だけを伸ばそうとしても疲れてしまうし、行き詰まってしまうから、そんな時に凍えないためにも暖房のような聖書や御言葉がとても重要なのだと。

信仰生活には御言葉や聖書のような外からの暖かみも大切だし、賛美や伝道のために個性才能を伸ばすという自身の身体を動かして温めることも大切なのではないか。

と、やはり理屈っぽくなってしまってる感じがありますが...

熱く信仰生活を続けていくためにも、個性才能を伸ばすべく歩いて自身を温め、立ち止まった時に凍えないようにしっかりと御言葉と聖書を読んでいこうと思います。

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