今日、仕事で取引先に出向きました。

そこで、仕事の話はそこそこに、コロナはいつまで続くか、という話になりました。

私はそういったことが話題に出たときは、まずは相手がどのような認識なのか探るようにしています。

唐突に「コロナは嘘!」「ワクチンは危険」と言っても、完全にコロナを信じている人からすれば「なんだ? こいつ、常識無いな」と思われて完全に拒絶されてしまうかもしれないからです。
そして、やはり仕事上、失礼だと思われてしまわないように、という配慮もあります。

今日の場合もいつもどおり、探り探り話を進めていったのですが、相手の方はコロナを完全に信じている様子。そして収束するには国民全員のワクチン接種しか無い! と考えているようでした。

ここまではっきりとした意見を持っているのであれば、何を言っても無理だろうな、と思い、コロナの嘘やワクチンの危険性について伝えるのは諦めようかと思ったのですが、しばらくすると「親にはワクチンを打たせましたか?」と聞かれました。
老人は優先的に打てるから、という理由でしょう。

そこで、私は(一か八か)「実は親には打たないように言っているんです」と言い、ワクチンの危険性がネットでは多く語られていること、すでに多くの人が亡くなっていること、特に「2、3年後には死ぬかもしれない」ということなどを掻い摘んで話しました。
「ですから、ワクチンは信用できないんです」とはっきり言ってみました。
ただ「あくまでも、これは私の意見ですが」とも強調しました。

すると「なんでもっと早く教えてくれなかったんですか? 父親に打たせてしまいましたよ」と驚いたように言ってきました。

それまで彼に対しては、少し頑固そうだな、という印象があり、どのような意見であっても、彼自身の意見を否定するようなことに対しては、聞く耳をもたないだろうな、と思っていました。
ですから、私の意見も当然拒絶するだろうな、と思っていたのですが、私が語ったことで、彼のワクチンに対する考え方がガラリと変わったな、という感触を得ました。

そこには、あきらかに神様の御働きがあった。

そう思いました。

そうでなければ、そこまで親しくない仕事上の付き合いだけの相手が話した自分の意見とは正反対の話など素直に聞き入れないだろう、と思ったからです。

そこまで考えると、これまでどれだけ自身の決めつけや思い込みで、伝道や救いの可能性を失ってきたか、という思いに至りました。

あれほど自分を捨て、神様に委ねるよう言われているのに、気がつくと自身の考えに縛られている。

そのことに関しては、今後も悔い改め続けなければ、と思います。
そうしなければ完全に変わることは出来ない。

この日、彼はもっと話を聞きたそうでしたが、他で彼が呼ばれ、断ち切れになってしまいました。

しかし、最初ですから、このくらいで良かったのかもしれません。
(一応仕事中でのことですし)

今後、じっくり、タイミングを見極めて、ラプトブログにも導けたらな、と思っています。

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