神様に意識を向ける

まだ、人が自分のことをどう思っているのかが気になってしまいます。

神様だけを意識して、神様を愛し、神様にどう思われているのか。それだけを気にしていればいいのに、どうしても気がつくと神様から意識が離れている。

ただ、以前に比べると、だいぶ良くなったように思います。

以前は他人になにか嫌なことを言われると「なぜ、そんなことを言うのだろう?」「どれだけ自分のことを嫌いなのだろう?」ということばかり考え、過剰に捉えて落ち込んだり、怒ったりと感情が揺れ動きました。更に「そんなつもりではなかったのに」などと心の中で相手に自分のことを分かってもらえないことを憤り「どうしたら分かってもらえるか」「どう説明したらいいか、」と思い悩んでいました。

しかし、今では、人が自分をどう思っているか、などちっぽけなことで、どうでもいい、と思えるようになりました。

だからといって、相手をぞんざいに扱ったり、あえて嫌なことをするわけではなく、むしろすべての人に思いやりを持って接っするよう努めているのですが、それでも自分を良く思わない人もいるわけで、そうした人に対して、無理に機嫌をとったり、自分を理解してもらおうと思わなくなったのです。

そして嫌なことが起きたら、相手のことを考えるのではなく、自分の感情をコントロールしようとするのでもなく、すぐに「神様」と呼びかけて、神様に意識を向けるようになりました。そうすることで、気持ちがスッと落ち着くようになるからです。

これもまた、信仰生活をはじめて良かったと思えることです。

自分ではどうしようもない沸き起こってくる感情に対して、以前は無力でした。気晴らしに酒を飲んだり音楽を聴いたり映画を観たり本を読んだりしても、なんの解決にもならなかった。

しかし今では神様に助けを求めることができる。すべてを神様に委ねればいい。そうすることで、本当に気持ちが軽くなるのだと実感できました。

その上で、聖書を読めば、更に気持ちが穏やかになります。そして神様に感謝して、神様のためにもっと努力しなければ、と思うようになって、様々なことにやる気が出てきます。それは自分自身を高めることに繋がるのだから、いいことしかありません。

ただ、私はまだ常にそのような状態に持っていくことは出来ていません。周りの人の感情に巻き込まれて、自分も重い気持ちになってしまっていることが多々あるのです。それが全くなくなったら、どれだけいいか。

二十四時間神様を意識するように、との御言葉がありましたが、そのように出来たら本当に素晴らしい幸せな日々が送れる、というのは想像出来ます。

目指すべきはその領域。

幸せになるための目指すべき目標がある、というのは希望です。

そして、ラプトブログには目指すべき目標が明確に記されていて、希望が満ち溢れている。

このことを今希望を失ってしまっている多くの人に知ってもらいたい。伝えたい。

そのためには、常に自分自身が幸せに満ち溢れていなければ、と思います。そうでなければ説得力がなく、伝道が出来ないからです。

嫌なことが起きてイライラして無駄な時間を過ごすのではなく、神様に意識を向けて、幸せで有意義な時間を過ごす。

常にそのように過ごせるよう、今後もっともっと信仰を深めていきたいと思います。

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