家で祈れるようになった喜び

昨日、一昨日と、久しぶりに家で明け方の祈りを捧げました。

信仰生活を始めた当初、私は明け方の時間に起きることはできても、大半は祈りの途中で寝てしまっていました。コーヒーを飲んでみたりガムを噛んでみたり、祈りの前にシャワーを浴びたり、など様々なことを試したのですが、ほとんど効果がありませんでした。

そこで、外に出ることにしました。車で山まで行って、その場所で祈る。
運転していくので、その間に賛美しているとそこで目が覚め、行き先でうまく祈れる。
それをしばらく続けていたのですが、それにも限界がありました。車の中で寝てしまうのです。
ただ、寝てしまっていたことに気がついたら、すぐに運転して場所を変えたり、そのまま運転しながら祈ったりしていて、全く祈れないということはなかったので、それはそれでいいのか、と思っていました。ただやはりもっと深く祈れるようになりたい、という思いは常にありました。

そんな中、ちょうど一年ほど前「歩き祈り」についての御言葉があり、それから歩き祈りをするようになりました。

今思えば、私の信仰生活にとって、それが大きな転機となったように思います。

それまで眠気とばかり戦っていて、それに打ち勝てず、毎回落胆し、後悔の念と自己嫌悪に陥っていたのですが、歩き祈りによってそれがなくなり、深く集中して祈れるようになりました。

それからは、雨の日や体力的に辛い時、体調がすぐれないとき以外は出来る限り歩き祈りをするようにしてきました。そして、歩き祈りをしない日でも家で祈ることはせず、必ず車で外に出るようにしました。

実際、この一年、家で祈ったのは数えるほどです。そして家で祈った日は、やはり眠気に襲われ、その眠気と戦うことに労力を費やさなければなりませんでした。

ここ最近、御言葉に従って、こまごました祈りから人々の救いと悪人の裁き、というシンプルな祈りに変えたことで、祈りが深く入るようになりました。

そして、もしかしたら、今なら家で祈っても大丈夫かもしれない、という思いが浮かんだため、一昨日、試しに家で祈ってみました。

結果は、微妙でした。

祈れたようにも思えたし、途中、ちょっと寝てしまった時間帯もあったような気がします。

「勘違いか」と思いつつ少し落ち込みましたが「やはり外に出なければな」と考えを切り替えました。

そして今朝を迎えたのですが、今朝に限って夜中に暴風雨、そして(滅多にこのようなことはないのですが)車も使えない状況になってしまい、仕方なく、再度家で祈ることになりました。

私は、明け方の祈りの前にその前日に宣布された御言葉を聞くようにしているのですが、この日の御言葉は「神様が選んでくださった」というとても希望的な御言葉で、時に涙しながら、神様、そしてラプトさんに感謝しつつ拝聴しました。

そしてその後、そのままデスクの椅子に座り、祈りを捧げたのですが、この日は家だったのにも関わらず、とても深く、そして眠気もなく、お祈りをすることが出来ました。

家でも深く祈れた。

私にとって、これは驚くべきことでした。

今までいくら努力しても、どうしても出来なかったことが出来るようになるというのは、本当に喜びです。

普段、自身の成長に関しては、あまり実感することができず、本当に自分は正しい道を歩んでいるのだろうか、見当違いのズレた方向に進んでいて今までのことは無駄になっているのではないか? という思いがよぎることが多々ありました。そんな中、ほんの小さなことではありますが、自身の成長を感じることが出来て、本当に嬉しく思いました。

ただ、ここで気を緩めてはいけない、と気を引き締めなおしました。

私は少しでも「成長した」と思うとすぐに高ぶってしまうので、こういった時にこそ、気持ちを緩めずに、これまで通りコツコツと積み重ねていくことを続けなければ、と思ったのです。

ですから、たとえ家で深く祈れたとしても、これまで通り、歩き祈りも続けようと思っています。

実際、歩き祈りの最中では、多くのことを悟れてきたと思います。深夜の静寂の中、集中して歩きながら祈ることで、雑念を取り払うこともできましたし、インスタグラムへ何を投稿しようか? と考えた時、歩き祈りを始める前までは真っ白だったのに、途中で書き記したいことが思い浮かび、実際にスラスラと書くことができた、という経験は一度や二度ではありません。むしろ、なにもなくてもなにか書きたいと思えることが浮かんでくるだろう、という安心感にも似た気持ちで歩き祈りに臨むようになっていました。更にそれまで思いもしなかった構想が浮かんできたり、時には実際に予期せぬ出来事が起きて、そこからなにかを悟ったり。

とにかく、歩き祈りを始めてからは、良い事ばかりでした。

当初、明け方の祈りは(正直に言うと)苦痛でした。しかし今ではなにかを悟れるかもしれない、新たな構想を得られるかもしれない、という気持ちでワクワク感の中、祈りを捧げています。

だからこそ、たとえ起きる時は辛くても、最終的には起きて、明け方の祈りを続けられているのだと思います。

今後も、引き続き明け方の祈りの時間に多くの事を悟り、神様と意思疎通ができるように成長していきたいです。

おすすめの記事