嫌な感じの夢をについて

先日の、聖霊様に祈り求めれば、細かいことまですぐに解決してくださる、という御言葉を受け、聖霊様にはなにを祈ったらいいのだろう? と考えてみました。

すると、現時点で悩まされてることが一つ思い浮かびました。それは寝ているときの夢についてです。私は毎日のように夢を見て、それを鮮明に覚えているのですが、その夢の内容があまり良くないのです。

信仰生活をしていくなかで「悪夢」をなくしてほしい、と祈ったことはあります。そして実際にしばらく悪夢を見なくなった時期もあったのですが、ここ最近、悪夢とは言わないまでも、嫌な感じの夢を見る機会が増えてきていました。

全く知らない街に行って不安に駆られたり、旅行先でトラブルに合ったり、旅行中に物を失くしたり、信仰生活を始めると同時に止めたお酒を飲んだり、二十年以上前に止めた煙草を吸っていたり。終いには異性の罪を犯すような夢もあります。

目覚めてしまえば「あぁ、夢だったか」と胸をなでおろして終わるのですが、大半が信仰生活を脅かすような内容で、なんとなく嫌な感じがしばらく残ります。

以前であれば、夢占いなどで見た夢の内容を検索し、その意味を知って思い当たる節を考え「そういうことか」と無理やり納得させていたのでしょうが、信仰生活をしている今では、見た夢は、もしかしたら信仰生活に関して何かしらの意味があるかもしれない、と考えるようになっていました。

そして、ここ最近見る夢に関しては、自身の罪から出たもので、悔い改めきれてないからだ、と思い「そうだとしたら、今後も時間をかけて悔い改めていくしかない」と半ば諦めにも似た感覚のままでいました。

しかし、聖霊様に祈り求めるよう言われた時に「もしかしたら、これはサタンからの攻撃なのかもしれない」と思い直し、それについて聖霊様に相談してみたらどうだろう? と思うようになったのです。もちろん、自身の過去に犯した罪のせいではあるだろうけれど、そこをサタンから執拗に責められているのではないかと思いました。もしサタンが来ているのなら、聖霊様が追い払ってくださるかもしれない、という期待も込めてのことでした。

それから数日間、夢について祈り求めましたが、初日も二日目も大した変化はなく、相変わらず、嫌な感じの夢を見ていました。

そして昨日、御言葉を聞いて驚きました。

そこに、ここ数日思い悩んでいたことについての答えがあったからです。

私は、嫌な夢を見ることに対して、あれこれ理由を考えて思い悩んでいました。そして、それを打ち明けて祈り求めれば理由もわかり、聖霊様が助けてくださり、嫌な夢も見なくなるのでは、と期待していました。

しかし、根本的に間違えていました。

「ただ単に、私が神様に二十四時間意識を向けられておらず、神様に人生のすべてを捧げるのとは程遠い生ぬるい日々を送っていたから、そのような夢を見ると嫌な気持ちになったり、不安になったり、動揺したりしてしまったのであって、常に神様に意識を向けられていれば、そのような夢も気にならないだろうし、見ることもなかったのではないか。確かにその夢を見るのは、罪のせいかもしれないし、サタンのせいかもしれない。しかし、それを知ったところで、神様のためにすべてを捧げていなければ、なんの解決にもならない。重要なのはそのような日々を送ることで、無理矢理嫌な夢を終わらせようとすることではない。神様にすべてを捧げる日々を送れば、嫌な夢も自然と淘汰されていくのではないか」

そのように昨日の御言葉で悟りました。

さらに「それに関しては、聖霊様に祈り求めていたからこそ、答えとして得られたのであって、もし祈っていなかったら、たとえ昨日の御言葉を聞いたとしても、自身の悩みに対する答えがこれだ、と思うことなどなく、悩みの解決には繋がらなかっただろうから、やはり祈っていて良かった」と思い、同時に祈ることの重要性について、改めて悟ることができました。

このような経験をすると、祈りたい、という気持ちがいっそう強くなります。

以前の御言葉で「今、祈らないのはもったいない」と仰っていましたが、本当にそうだなぁ、とつくづく思います。祈れば答えを与えてくださるし、祈れば悩みもすぐに解決方法してくださるのだから、祈らない手はない。

今後も大きな祈りから小さな祈りまで様々な祈りを捧げ、自身も神様の願いを叶えて差し上げられる者に成長していきたいです。

#RAPTブログ #信仰生活 #祈り #夢 #悪夢

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