孤独感

昨日、月食が見られるということで、仕事帰りに自転車をこぎながら空を見上げていたのですが、その時にふと、以前抱いていた「孤独感」について思い出しました。

私は若い頃、二十代の半ばまで、数年間海外で生活していました。その生活自体はとても楽しくて、多くの人と知り合い、新しい経験を積み重ね、充実した日々を過ごしてはいたのですが、せっかく仲良くなった友人に対しても、生まれ育った環境や言葉、文化が異なっている相手をどこまで信頼していいのか分からず、更に自分は外国人で、この土地の人間ではないという意識も相まって、強烈な孤独感に苛まれることが度々ありました。

そのような時は決まって、それまで華やかに彩られているように見えていた風景が急に色褪せて、街並みは寂しげに映り、道行く人々が冷酷に思えてきてしまうのでした。

そして、そんな時に、唯一色褪せることがなかった美しい夜空を見上げて現実逃避していたな、と思い出したのです。

その後、帰国して日本で生活していくことになったのですが、今度は、海外での経験があだとなって、周りに馴染めず、昔の友人との会話も合わなくなり、やはり「孤独感」を味わうようになってしまいました。

それでも次第に日本での生活に慣れ、人付き合いも徐々に回復し、新たな友人知人も増えていったのですが、価値観の違いからか、常に虚しさを感じていました。皆、所詮は他人。どんなに仲良くなったとしても、彼らには彼らの世界がある。そこに自分が踏み込める余地は全くない。
今、冷静に考えれば、それはお互い様だったのですが、その時は、自分だけが独り取り残されたような気持ちになっていました。

そのような日々の中、妻と知り合い、結婚すればその孤独感から逃れられるかもしれない、という思いもあり、結婚しました。(その理由だけではありませんが...)

しかし、結婚しても彼女が他人だという思いは変わらず、相手に合わせて生活するのが苦痛に思うこともしばしばありました。彼女が自分に求めていることが分からず、自分が彼女に求めていることもよく分からなくなり、何もかもが嫌になってしまった時期もありました。

そんな中、ラプトブログに出会いました。

その頃は「現状を良くしたい」「孤独感から逃れたい」といった願望はほとんどなく、すべてを諦めていて、ただ単に陰謀論に刺激を求めていただけだった気がします。

しかし、ラプトブログの有料記事を購読するようになり、読み進めていく内に、意識が変わっていきました。神様の存在を知り、信仰生活を始め、徐々に信仰が深まっていくにつれて、神様が自分を愛してくださっている、という思いが浸透していき、いつの間にかそれまで感じていた「孤独感」が薄れていたことに気付いたのです。

そして自然と友人、知人、そして妻に孤独感を埋めてほしい、と求めることをしなくなっていました。

人に求めるのではなく、すべてを神様に求めることで、これまで生きていた中でずっと心の中にあった「孤独感」という感情を取り除くことができたのだと思います。

それ以降、友人、知人とは以前のように連絡を取り合うことは少なくなりましたが、それに対して寂しいと思う気持ちがなくなりました。そのことで彼らが自分から遠ざかっていったからといっていちいち孤独に感じるということはなくなったのです。

妻とは喧嘩や口論がほとんどなくなりました。孤独を恐れて妻に気に入られようと頑張るのではなく、神様の怒りを恐れて神様に気に入られるよう頑張ることで、不思議と妻との関係もうまくいっています。
今では妻に対して全くと言っていいほど不満がありません。

神様に愛されているのだから、孤独ではない。

それを悟れたことで、色褪せていた人生が、鮮やかに彩られるようになりました。

以前の私と同じように孤独感に苛まれ、辛い気持ちを抱いて、それでも歯を食いしばって生きている人がたくさんいると思います。
そのような人達がラプトブログに出会い、有料記事にて神様のことを知り、神様の愛を知り、信仰生活を送ることで孤独感から抜け出して、希望に満ちた素晴らしい日々を送れるよう、心から願います。

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