なにも悪いことはしていない

今朝の明け方の祈りの時間、歩きながら普段のルートを歩いていたのですが、途中で人の声が聞こえました。

週末だからでしょうか、いつもよりもすれ違う人が多い気はしましたが (と言っても数人でしたが) 人の声が聞こえるというのは、今まであまりありませんでした。

声が聞こえてくる場所は進む先で、一本道だったので避けずにそのまま歩いていったのですが、普段はなにもない所にクルマが止まっていて、数人の人の気配がしたので、こんな夜中に何事かな? と思いつつ、怪しまれないようにその場からできる限り距離をおいて歩いていきました。

通り過ぎる時にその場を横目で見ていくと、そこには地べたに座り込んだ50代くらいの女性と警察が二人いました。どうやら、警察が怪しい女性に職務質問をしていたようで、その女性は「なにも悪いことはしていない。ただここにいるだけ」と繰り返し叫んでいました。

誰かが通報したのか、たまたま警察が巡回中にその場に居合わせたのか、わかりませんが、夜中の二時過ぎに繁華街ならまだしも、全く人気のない郊外でなにをしているのだろう? と思いつつ、その場を足早に歩きさりました。

その後、引き続き祈りながら歩いていたのですが「なにも悪いことはしていない。ただここにいるだけ」という女性の言葉が頭に残っていました。

「自分も同じだ」

ふとそのような思いが浮かびました。

前日の明け方の祈りは、雨が降っていたので、クルマで山に行ったのですが、その日は雑念と眠気で全く深く祈れませんでした。さらにその日は仕事だったのですが、常に眠気があり、運転中も「危ない」と思うときが何度かあるほどで、一日中、ぼんやりとした感覚で過ごしていました。

そのようなことを考えていると、前々日、個性才能を伸ばすために努力しなければ、と悔い改めたばかりのなのに、それに対して、なにもしていなかった、と気付きました。
ただ空いた時間に聖書を読んでいただけで、個性才能に関しては意識さえ向けていなかったのです。

「悪いことはしていないけど、なにもしていない」

もしかしたら、神様はこのことを分からせるために、今朝の明け方の祈りの時間に、あのような状況に私を遭遇させてくださったのかもしれません。

たとえ悔い改めたとしても、その後なにもしなければ全く意味がない。そしてそのうちに「悔い改めても口だけか」と神様に愛想を尽かされてしまうかもしれません。

悔い改めたのなら、悔い改めたなりの行動をとらなければならない。
そう思いました。

一日でも無駄に過ごしてはいけない。
そのような思いを忘れずに、今後も日々努力していきたいと思います。

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