自己中心的信仰生活

ここ数日、山へクルマで行って祈っていたのですが「サタンに負けたくない」という当初の目的ではなく、歩き祈りは寒いし疲れるから、という理由で山に行くようになっていました。

いくら「一つのことを集中して祈るためにクルマで山に行ってるんだ!」と自分に言い訳をしても、いちばんの理由が寒さや疲れでは意味がない。それこそが、御言葉で宣布されたような、自分本位、自己中心的な考えで信仰生活を送ってしまっている、ということではないかと気付きました。
そして言い訳をしたとして自分自身は誤魔化せても、神様は誤魔化せない。

実際、今朝は雑念ばかりが頭の中にはいりこみ、あまり集中して祈ることが出来ませんでした。

それまで怠惰な生活を送ってきた私は、一度悔い改めたと思っても、すぐにこういった気持ちが顔を出してきます。
そしていつの間にかそのような悪い癖に流されて、以前のように戻ってしまう。

たとえ同じ行動をとるにしても、怠惰な考えのもとで物ごとを決めてしまうのは罪だと自戒し、悔い改めました。

明日の明け方の祈りは、神様を第一に考え、寒くても歩き祈りに切り換えていきたいと思います。

おすすめの記事